quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

天皇訪中’92

加藤紘一氏、天皇訪中「宮沢さんは一生懸命じゃなかった」 (2014/3/23)日本経済新聞 電子版

――1991年11月に宮沢内閣が発足したとき、宮沢喜一首相は天皇陛下の訪中問題をどのように処理しようとしていたのですか。
「よく覚えていない。宮沢内閣ができる自民党内の力のやりとりや、金丸信さん、小沢一郎さん、渡辺美智雄さんの押し合いへし合い、私はそれにほとんど関与する立場だったが、そこで天皇訪中というのが約束事みたいに登場した記憶はない。宮沢さんはあんまり天皇訪中に一生懸命じゃなかったと思う」
――積極的だったのは副総理・外相に就いた渡辺氏ですか。
「そういう印象です。ミッチーが中国に行って約束してきた。宮沢さんと私は、そのツケを官邸で落とさなきゃ、という感じだった。特に反対する陣営との折衝は私がやっていた」
――渡辺外相はなぜ天皇陛下の訪中に積極的だったのですか。
「今から考えると、外務省だったのではないかと思う。推進し、約束してきたのは。具体的にいえば(駐中国大使だった)橋本恕さんだ。それと(外務省アジア局長だった)谷野作太郎さんですよ。あの2人がいなければ、天皇訪中はなかった」

今思えばこの判断「天皇訪中'92」は、当時の政治家にとって、国辱もの、恥知らず、非国民、売国奴、と罵られても文句は言えないと思う。いや、世界的に見れば、人権に反するナチスものだと言っても過言ではない。

しかし、当時は、北国の春が全土で唄われ、山口百恵がテレビドラマ「血疑」でスーパーアイドルだったのだ。中国の日本に対する好感度がとても高かった。
「ここで恩を売っておけば、21世紀は対中国投資・貿易でウハウハだ。国益に適う」、当時の政治家さんたちは、そう判断されたのでないだろうか。やはり金がらみなのだ。失敗だったとは言え、馬鹿な判断では無かったと思う。ただ、当時の政治家の方々は責任は取って欲しいな。せめてちゃんとした回顧録は残していただきたい。