quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

戸籍解読4-改製原附票

祖母の戸籍では結局、親類の名前くらいしか確認できなかったが、行政書士法人が送って来た父親の改製原附票で面白い情報が得られた。
この改製原附票、平成11年3/13に改製につき削除、となっている。今まで良く取って置いてくれたものだ。父親本人の住所の上に長細い紙が貼ってあって現住所が書いてある。それをめくると、、、
生まれは、NG市であることは既に分かっているのだが、ここにはその件に関しては記載がない。
そして、年月日空欄で、「KU沼郡小出町大字小出島」と言う住所が書いてある。その後は、昭和30年8/18に、一旦、F町通5-624に戻り、31年4/24に今度は本籍そのものKOM通に戻っている。しかし、K.タネ氏の戸籍では、昭和8年11/6結婚(I正人)、昭和14年10/5離婚で実家に復籍し、翌年の1月に分籍(分家)し、本籍はKOM通になっている。N津(NT)に行くのはその後である。さてはてF町通とKOM通は一体誰の家だったのか、単なる借家住まいだったのか、、、。そして、小出島に移ったのは離婚前なのか後なのか。いずれにしても離婚は、彼が6才のときであるから大変なことであったことは間違いない。
さらにその後、昭和35年3/26に、平和町71-9に引っ越している。これは生前、母親から聞いた通りであり、石油コンビナートの拡充のために強制移転してA通3-13-16に移ったのが36年7/16のことである。

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(後記)2021年10/4(月)記、Kタネ、その後、をメモ。G作一と再婚したのが、昭和15年9/20である。I正人との離婚から未だ一年経っていない。そして、戦時中を何とか潜り抜けたにもかかわらず、終戦後の昭和27年12/24に協議離婚。実家1の掃除中に、父親の卒業証書を見つけた。昭和27年3/1卒、であり、誕生日が昭和8年10/5となっていた。戸籍上は11/8である。
母タネの離婚時、父は19才であり、おそらく既にI金属に就職している。このため、名前を変えなかったのではないか。 なお当時は、離婚に伴い、妻の名前だけは必ず改姓した。
自分は3,4歳の頃、毎日のように、祖母(タネ)から、G作一の悪口を聞かされた。
 
(後記)2021年11/5記、実家1の取り壊しが決まり、残置物の最後の点検に行った、二階で新たに写真とアルバムを発見。父親の高校の卒業アルバム1952年(昭和27年)の住所録には流作場春日町2、と記してある。何とも大雑把な住所である。離婚は12/4なので、未だ働き出してはいない。想像するに、就職の内定が出たところで離婚届けを出したのだろうか。
さらに、彼が作一氏の戸籍から分籍して、上大川前通に新戸籍編製をするのは、下記の通り翌々年の昭和29年である。
しかし、「改製原附票」によれば、さらに翌年の昭和30年に、古町通五番町624に引っ越し、さらに、昭和31年に、再び上大川前通に戻っている。これが実際に引っ越しているのかあるいは戸籍上のことだけなのかは不明。

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