戸籍解読7
戸籍ではなく、位牌の写真が見つかった。昭和四十年代のものと思われる。
全部で15枚分、かなりの高解像度で撮られているので、よほど良いカメラ、ニコンかライカ、を使用して撮影したと思われる。
- 左上から六枚:
- 左下から九枚:
これと戸籍を対応させてみよう。
江戸時代のものはもちろん、全く分からないが、下5の「俗名才吉」は、戸籍では「才一郎」となっており、死亡日は明治明治38年12月8日である。
この才吉(才一郎)の妻が、山○タケである。この夫婦の養子になったのが、山○留吉で、彼は北蒲原郡安田村大字保田南四十七番の、井上与吉・リキ夫婦の子供で、明治七年十二月二十三日生まれである。
留吉は、明治三十七年十二月十二日に、塩田ニンと結婚しており、この塩田ニンは、戸籍によれば、塩田仁蔵の長女、とある。すると、戸籍の、山○リンの正式名は「ニン」と言うことになる。ニンは、明治十二年五月十日生まれで、昭和十一年九月四日に亡くなっており、行年は確かに57才である。
留吉本人の行年は、亡くなったのが昭和三十二年一月二十一日なので、生年との差は83となるが、位牌の行年が八十までは読み取れるがその次の位が読めない。
さらに、この留吉の妻ニン(リン)の位牌には、太郎吉妻(留吉○)と書かれており、留吉は、太郎吉とも呼ばれていたことが分かる。
確かに、この太郎吉と言う名前は自分が小さい頃、聞き覚えがあるのだ。