quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

戸籍解読8、新たに位牌の写真が

実家1の最後の掃除で、もう一枚、母親の実家の位牌の写真が発掘された。
一部は、前回見つけた写真の位牌の裏側を写したものになっている。

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下段右5枚が、前回の写真の裏側

その他(下段の右側4枚及び、上段)の位牌は、新規の写真。
前回、時代的に、幕末の部分が抜けていると記したが、今回のは、上段左より、享保十年(1725)、享保十二年(1727)、宝暦八年(1758)、宝暦十三年(1763)、安政七年(1860)、寛政改元(1789)、、そして下段左より、寛政六年(1794)、文政八年(1825)、文化八年(1811)、文化八年(1811)、となっている。

やはり、1830年代から1900年(明治30年代)までが、ぽっかりと抜けている。
その頃と言うと、安田村出身の留吉が、秣川岸にて、才一郎の養子になり(明治37年3/18)、塩田ニンと結婚(同年12/12)、順次出生(明治38年12/7)、養父死亡により家督相続(明治38年12/8)、と言う流れになっている。引っ越したのはずっとあとで、昭和32年7/13である(但し転籍した年月日)。

そして、下段の右寄り五枚は、明治38、大正7、昭和11、昭和32、そして、右端が祖父の順次(留吉の長男)である。祖父の逝去は、11/6寂、行年58才、と言うことが分かる。
生年は戸籍より、明治38年3/17(1905)であるので、K.タネと同じ。また没年は、行年58が数え年であることを考慮して、1962となる。自分がもうすぐ1歳になろうかという頃だ。

下段右から五番目より(二行目は前回の写真から読み取ったものを再掲)、

  1. 明治38、見光入利信士、12/8寂
    • 中蒲原郡高山村生、北蒲原郡安田村小浮村、長谷川正右門、俗名○○才吉、行年六十一才
  2. 大正7、帰眞 法誉妙遷信女位、10/9
    • 才吉妻、俗名大和タケ、行年七十五才
  3. 昭和11、法名 道誉妙倫善信女、9/4寂(戸籍確認OK、但し名前「ニン」)
    • 亀田町塩田仁蔵長女、太郎吉妻(留吉○)俗名 ○○リン、五十七才
  4. 昭和32、善誉道順清信士位、1/21寂(戸籍確認OK)
    • ○○留吉、行年八十三才(戸籍より計算)
  5. 11/6寂(○○順次)(生年明治38年3/17)
    • 行年五十八才

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