quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

戸籍解読6

明治~昭和初期の時代の戸籍を判読した結果分かったこと三つ。
 
養子がやたら多い

  • 結構な頻度で「養子」が見られる。「養子の離縁」もある。また、養子になるのは子供ではなく青年である。
    • 例)北KB群安田村大字保田南四十七番戸主井上與吉二男Y才一郎同人妻タケと養子縁組届出明治三十七年三月二十八日受附入籍
  • 昔は次男より下の男子は養子に行ってやっと一人前、と言うか、少なくとも戸主である兄(長男)の下くすぶっているより、よほど気分の良いものだったのだろう。
  • いわゆる婿養子は、下記のように別記載なので、本件は青年のみを養子にする事例が多いということだ。
    • 例)上伊那郡川島村大字横川1795番地戸主小澤實弥四女、婿養子縁組婚姻届、昭和17年8月27日

 
嫡出子の身分取得?

  • 何やら物騒な文言で、最初見たときは認知争いの裁判でもあったのか、と思ったほどだったが、実際は大したことのない話で、これが長男・長女の出生で頻出している。
    • 例)N市MKG通1丁目十一番に於いて出生父Y留吉届出明治三十八年三月二十二日受附入籍同日嫡出子の身分取得
  • いわゆる「嫡出の推定」と言うことで、婚姻後、200日を経ずして出生した場合、届け出が必要だったということだ。これは現民法でも同断である。
    • と言うことは、当時はお腹が大きくなるまで婚姻の籍を入れないことが多かった、と言うことになる。これは一概に女性差別、と言うことではなく、「子供さえいなければ戸籍を乱さずに離婚出来る」と言うメリットもある。実際どうだったかは分からない。

 
身分登記により記載?

  • これもちょっと物騒な文言であるが、明治前半の戸籍には下記のような定型文が、ハンコで押してあることが多い。
    • 例)出生事項中 出生ノ場所及び 届出人ノ 資格並に 氏名身分登記により記載
  • この文言は明治後期には見られなくなっている。戸籍と身分登記簿が別々だった頃の名残らしい。検索すると、戸籍に、身分、職業、犯歴等を入れるかどうか、国会で真剣に議論されたと言う研究が見つかる。