quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

組織部を辞めたわけ

25年前くらいだろうか、組織部(関東では学生委員会と呼ばれていた)に一ヶ月の間だけ入っていた。最初、ただの委員になるはずだったのが、一週間に一度会合に出るだけで給料(バイト代?)が出ると言われてそれ(給料)に釣られて組織部をやってみることにしたのだ。英国での会の成り立ちを描いた、「〇〇の先駆者たち」とかいう本を読んで感動したり、上の人にちょっと気に入られて、栄養士さんを招いて栄養相談をする会や、映画上映の企画をした。栄養相談の報告会で上の人が作った報告書を棒読みしてしまい、苦笑された記憶がある。映画上映ではまじめな映画だけでは誰も来ないから抱き合わせにすべき、と主張したりもした。周りの多くの人と違うことをやっているのが何かしら充実感があった。「〇〇はね、」と他の人に説明するとき、自分が飲み込まれているのを自覚しながらも、優越感があった。
結局、忙しかったのと、ちょっとおかしい部分がいくつか目に付いて、一月分の給料を貰った日以降、ぷっつりと行くのを止めてしまった。ある週の昼休みに毎日、集会を開くことになったのだが、参加者に弁当を支給すると言う。ただ飯が食える、と是非自分も毎日参加しようと思い、初日の会合に顔を出したのだが、長引きそうなのと、雰囲気が真剣なので、続けて出ようかどうしようか迷ったあげく、面倒になって結局出ることはなかった。その週末のことだ。部屋で自分と同じ年の誰かが一方的に責められているのをちらっと見た。どうやら、その誰かは、自分と全く同じことを考えた上、一週間皆勤してしまったらしい。一週間分の弁当くらい、笑って叱られる程度だと思ったが、どうも雰囲気が違う。自己批判させろ、とか、どうにもついて行けない言葉が飛び交っている。そのとき、ふっと目が覚めた瞬間をはっきりと覚えている。「目が覚める」という、とても貴重な経験をさせて貰った。
しばらく行かないでいると、一度だけ電話がかかって来たり、別のサークル一緒でやはり組織部に入っている先輩に「顔を出してよ」伝言があったりしたが、「とても忙しいので、、、、」と断ると、それ以上何か言って来ることは無かった。今はラジオ局に勤めているそのサークルの先輩(結局、組織部で一緒になることはなかった)にも事情を打ち明けることは無かったのだが今度お会いしたら話してみよう。