quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

中川淳一郎さん

ここ何年も、外国人に対するヘイトスピーチがネット上に蔓延しており、重大な人権侵害となっている。となれば、反差別の運動も目立つようになるが、現在、ネット上で起こっている反差別運動の実態はどうなっているのか。これまでのネットを中心とした反差別運動の歴史をひもときつつ、「レイシストしばき隊」ら“反差別界隈”の動きと現状について、ネットニュース編集者の中川淳一郎氏がレポートする(全4回中第1回・文中一部敬称略)。

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 2017年6月2日、奇妙なキーワードがヤフーリアルタイム検索のトレンドワード1位を獲得した。それは「奇妙な果実」である。これは、アメリカのソウル歌手・ビリー・ホリデイによる曲のタイトルだ(原題=Strange Fruit)。「奇妙な果実」とは、アメリカの差別主義者の白人によって木に吊るされて死んだ黒人のことを意味する。漫画『美味しんぼ』3巻でも登場したことで、知った人も多いだろう。ジャズバーでソウル・シンガー「サディ・フェイガン」が同曲を歌うが、客席の山岡士郎と栗田ゆう子はこうやり取りをする。

〈栗田:これは…何と言う歌なの?
山岡:「奇妙な果実」、白人に私刑(リンチ)を受けて、木に吊された黒人の死体のことだ………。白人に虐げられててきた黒人の悲しみが哀切極まりなく胸を打つ……〉

 今回の「奇妙な果実」のトレンド1位入りが一体なぜ起こったのかといえば、ツイッターユーザー・BuddyLeeが、ハッシュタグ「#安倍を吊るせ」に乗っかる形で「奇妙な果実にしちまおう」と書き込んだことにある。「安倍を吊るせ」のハッシュタグを使い始めたのは野間易通という有名な活動家であり、反原発の活動を経て「レイシストをしばき隊」(現C.R.A.C.)の中心メンバーとなった人物だ。しばき隊は東京・新大久保のコリアンタウンなどで「朝鮮人ガス室に送れ!」「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」のように、排外的なデモをしていた在特会在日特権を許さない市民の会)を中心としたネトウヨに対する「カウンター」として2013年2月9日に登場した。

 排外デモ参加者は、しばき隊が登場するまで「お散歩」と称し、デモ終了後に集団で街を練り歩き、韓国人や中国人が経営する商店で「看板が道に出てるだろ!」といった形で一見良識ある市民を装い恫喝を繰り返していたが、しばき隊はそれを阻止することを目的とした。その後、デモの際はしばき隊の分派も含め多数のカウンターが自発的に続々と参加し、人種差別主義者への抗議の声を各者各様の形であげた。その活動は当時リベラル系のメディアからは称賛され、「差別と対峙する立派な人」という扱いを受けていた。事実、彼らの当時の功績は大きなものがあるだろう。

 彼らは現在「野間界隈」や「しばき界隈」「反差別界隈」といった言われ方もされるが、野間という親分のツイッター上の号令、ないしはその時々のお仲間さんが醸し出す空気のもと、「レイシスト」「差別主義者」を糾弾し、反安倍政権を主張する声が一斉に広がっていくのが特徴である。もちろん野間とは関係のない者が多数だろうが、論調として野間的な意見が反差別界隈では共感される傾向にある。元々は反差別を掲げていたが、最近は「反安倍政権」も主張の軸となっている。主たる情報発信のツールはツイッターである。今回BuddyLeeもその号令に従った形だ。最近でも野間は「東京メトロの駅員を罵倒しろ」「書店で大声で騒げ」といった扇動をし、一斉にそのシンパたちが従ってきた。前者は北朝鮮がミサイル実験をした際に東京メトロが運転を見合わせたことに対して抗議せよ、ということである。後者は『韓国人に生まれなくて良かった』(元・駐韓国特命大使・武藤正敏著)という書籍発売にあたり、この本を平積みしているような店では大声で書店員を怒鳴っていい、という主張だ。つまり、「“ヘイト本”を売るような書店員は罵倒しろ」という扇動だ。

 前者は分かりにくいかもしれない。「なんで地下鉄の駅員と差別が関係あるの?」と思うことだろう。基本的に日本の左翼活動家は韓国・北朝鮮・中国に好意的で日本を叩く傾向にある。北朝鮮によるミサイル実験は「正当な実験」「危険ではない実験」であり、それにいちいちビビって地下鉄を止めてるんじゃねぇ! 政権及びマスコミの「北は怖いぞキャンペーン」にいちいち乗っかって東京メトロ北朝鮮の恐怖を煽るんじゃねぇ! てめぇら、官邸のことを「忖度」しやがったな、この野郎! よし、こうなったら東京メトロの駅員を罵倒するぞ! という何が何やら分からぬロジックの扇動をしたのである。とにかく「反安倍政権」「親韓中北」になるのであれば、何でも利用し、進軍ラッパを吹いてシンパたちを動かしていくのだ。あとは得意の「指先検索」により、次の糾弾相手を探していく。

 今回野間が「#安倍を吊るせ」に至った前段として、「前川さんにしろ詩織さんにしろ、ガツンと前に出てちゃんとレジストするやつがいるんだよ。全力でバックアップだよ。」というツイートがある。これを意訳すると「反安倍政権のために闘う前川喜平文科省事務次官と、安倍ベッタリジャーナリスト・山口敬之にレイプされたと顔出しで告発した詩織さんを(政権打倒のために)全力で応援しよう」ということになる。

 それに続くのが「#安倍を吊るせ」のツイートになるのだ。このツイートは他の文章は一切なく、ただ「#安倍を吊るせ」のハッシュタグだけが投稿された。これに呼応する形で、シンパたちが「#安倍を吊るせ」のハッシュタグを使い始め、BuddyLeeが一線を越える形で「奇妙な果実にしちまおう」=「安倍首相をリンチし、首にロープかけて木に吊るして絞首刑にしてしまおう」という扇動をしたのだ。

 普段から反レイシズムを標榜し、ネトウヨを含めた人種差別主義者を糾弾してきた「しばき界隈」がまさかの黒人差別を批判する曲名を出して安倍晋三首相の殺害扇動とも取れるツイートをしたことにより、完全に化けの皮が剥げた。その後BuddyLeeは押し寄せる批判に対して正当性を強弁し、罵倒を続けていたが、さすがに「奇妙な果実にしちまえ」はヤバ過ぎると理解したのだろう。謝罪をしたうえで、謹慎をすると宣言した(すぐに復活)。その謝罪文は以下のものである。

〈このシビアな時期においてした軽率なツイートをいくつか消去致しました。このツイートで不利益を与えてしまった皆様方にお詫びいたします。また、6時間ほど見知らぬホシュの方からのご意見を拝見致しましたが、どれも貴重なもので啓発されました。なおフォローリクエストを多数頂いておりますが、謹慎中のためご期待に添えず申し訳ありません。〉

 ここで「不利益を与えてしまった皆様方にお詫びいたします」とあるが、これは前川氏、詩織氏という安倍政権にダメージを与える可能性がある「神輿」がせっかく登場し、攻撃のチャンスだったのに自陣営が逆に叩かれる状況を作って謝罪していると解釈できる。本来謝罪すべき相手は安倍首相であり、黒人、そして故・ビリー・ホリデイ及び曲の関係者に対してであるにもかかわらずだ。その後、BuddyLeeはツイッターの運営によりIDを凍結された。

◆「反差別界隈」は反差別でもなんでもない

 反差別界隈は、アイドルグループ・欅坂46ナチスの制服に似たコスチュームを着用した際、米のユダヤ関連団体であるサイモン・ウィーゼンタール・センターに通報。さらには「反差別統一戦線東京委員会」というツイッターIDが、外国人記者及びメディア、各種人権団体等600以上の個人・組織に次々とツイッターでメンションを送り、国際問題化を試みた。2016年11月1日、欅坂46の総合プロデューサー・秋元康は、これに対して以下のように謝罪している。

〈ニュースで知りました。ありえない衣装でした。事前報告がなかったので、チェックもできませんでした。スタッフもナチスを想起させるものを作った訳ではないと思いますが、プロデューサーとして、監督不行き届きだったと思っております。大変申し訳なく思っています。再発防止に向けて、すべて事前にチェックし、スタッフ教育も徹底して行いたいと思います〉

 そして「反差別統一戦線東京委員会」は、「この件は秋本康が五輪組織委員会理事であることも含め、IOCを巻き込んで大炎上させる必要があります」(原文ママ)とツイート。「反差別統一戦線東京委員会」は、アパホテル南京大虐殺はなかった、とする書籍を部屋に置いていたことがアメリカ人観光客の動画投稿により拡散した際も「アパとレイシストの件、ヨーロッパの記者180名に通知完了。米向けは21:00頃に再開します」とやっていた。日本国内の差別案件に敏感で、得意の英語とフランス語を駆使して海外に拡散させることに長けた人物なのである。

 となれば、今回の件も「反差別統一戦線東京委員会」は黒人団体に通報すべき案件だろうが、結局は「お仲間」なので通報はしない。彼らが重視するのは「何を言うか」よりも「誰が言うか」なのだ。野間もBuddyLeeも「反安倍政権」という立場で一応は考え方が似ているだけに味方認定をし、こうした差別発言、人権侵害扇動があってもだんまりを決め込む。明確な二重基準を持っているのだ。なお、この件で野間はBuddyLeeを切るようなツイートをし、BuddyLeeは慌てて取り繕うようなツイートをして「謹慎」を解いた。

 と考えれば、野間も含めた「反差別界隈」は反差別でもなんでもない。彼らは単に反安倍政権派であり、糾弾マニアであり、「反差別」は糾弾をする正当性を与える印籠でしかなかった、ということだ。すでに化けの皮はここ数年剥がれてきてはいたものの、一応「ヘイト認定」「レイシスト認定」を食らった側は彼らの認定の前には「グヌヌヌヌ」と臍を噛むしかなかったので、今ここで彼らの実態を淡々と紹介しよう。

 何しろ、ヘイト認定・レイシスト認定をくらうと一斉に反差別界隈から罵詈雑言が寄せられるのである。これを経験した人は案外多いだろう。かくいう私も彼らからはレイシスト認定をくらっている。結局彼らは気に食わない人間をレイシストだと認定し、気に食わない発言や行動をヘイト認定するだけなのだ。そうした実例については本稿で紹介していく。

◆「しばき隊」「反差別界隈」「彼ら」

 前置きが長くなったが、本稿では、「しばき隊」を含めた反差別のネットでの動きを振り返ってみる。膨大なエピソードがあるので、一部ヲチャー(ウォッチャー)にとっては物足りないものになるかもしれないが、初心者向けということで書いてみる。恐らく、右派以外の職業的モノカキや知識人は彼らを正面切っては批判してこなかっただろう。なにせ、批判するとネトウヨレイシストのレッテルを貼られてしまうのだから。また「反差別」を標榜している人間を非難すると自分が差別主義者だと思われてしまうため、批判はし辛かったことだろう。いや、もしかしたら単に批判した後の一斉攻撃がウザかったからおかしな行動を彼らがし続けていることは分かっていたものの、スルーしていたのかもしれない。

 また、日本のジャーナリズム界隈では、サヨクの方が高く評価される傾向がある。保守派や右翼は「戦前の日本に戻したいのか」といった言われ方をし、叩きの対象になりがちだ。そして「●●のネトウヨ化が止まらない」と書かれるのだ。津田塾大学萱野稔人教授は『サンデーモーニング』(TBS系)にもコメンテーターとして出演するほどのリベラル扱いをされていたが、アメリカでトランプ政権が誕生した後に出演した『報道ステーション』(テレビ朝日系)における発言で「ネトウヨ化」レッテルを貼られた。萱野はメキシコとの国境に住んでいるアメリカ人の白人が銃を持っている件について不法入国移民がいる以上仕方ないといった趣旨の発言をした。また、日本のメディアがトランプ支持者を低収入の低学歴扱いしたことにも苦言を呈したり、共謀罪に対して議論は尽くしたと意見したところ「萱野のネトウヨ化が止まらない」的な言われ方をした。

 現在の日本のネットの一部では、「右か左か」「差別主義者か否か」といった二元論でのレッテル貼り、無駄な争いが横行している。これは本当になんの生産性もないし、結局は両派が互いを罵倒しあうだけの結果になってしまい、まったく意味がない。対話もできない状況が続いており、もはやネットなんて見ない方がいいのでは、と思うレベルである。その中心がツイッターであり、かつて愚行を自ら晒す若者が相次ぎ「バカ発見器」と呼ばれたツイッターはすっかり「ケンカ発生器」と呼べる代物になっている。

 本稿の主役は「しばき隊」である。ただし、全面的にそう呼ぶことはやめておく。時々出るかもしれないが、微妙な使い分けをする。「しばき隊」を使うこともあれば、「反差別界隈」を使うこともあれば、「彼ら」という言い方もする。これは彼らの発言をウォッチしてきた結果としての使い分けであり、言葉がこんがらがるかもしれないが、この3つの言葉を使う場合は同じ対象について述べていると考えていただきたい。

 理由は「しばき隊」という言葉を使うと妙に彼らの気分を害するからである。「しばき隊なんていない」「カウンターは個々人が勝手に集まっただけだ」「しばき隊は解散し、今はC.R.A.C.だ」といった反論をされるが、「しばき隊的な人々」という広義の意味で「しばき隊」は使われているのである。いちいち「人種差別のカウンター活動を始め、その成功体験が忘れられずとにかく何があろうとも『反差別』の錦の御旗の元『レイシスト』『ヘイト』認定をして糾弾の対象を見つけ、一斉に罵倒する集団」と書くのは長過ぎるし、この長文を略して「JCSNHRHNKIBS」と書いてもまったくワケが分からない。だから「しばき隊」と書くのが便宜上伝わりやすいのである。ただ、本稿では彼らが呼び名にこだわっている以上「反差別界隈」も含めた呼び方の使い分けを行う。

 この“「しばき隊」なんかいないロジック”は奇妙なほど彼らが当初対峙していたネトウヨと合致する。ネトウヨも「ネトウヨなんていない! 我々は路上に出ている!」と言うし、「在特会」と言えば「在特会だけじゃない。『行動する保守』だ。単に愛国者が集まっているだけだ」と言う。或いは「今日のデモ主催は在特会ではない。〇〇会である!」ともなる。「外に出ているんだったら『ソトウヨ』かよ?」といったツッコミも存在するわけで、何やらラベルを貼られるのを嫌がる点では共通しているにもかかわらず、互いに「パヨク」「しばき隊」「ネトウヨ」とラベルを貼り合っているのだ。「パヨク」については後述する。

◆韓国に対する空気の変化

 さて、今回の「奇妙な果実騒動」は私がこうして反差別界隈のここ何年間かの歴史を振り返るきっかけになったわけだが、元々私はネトウヨによる排外・嫌韓デモは問題視していた。もちろん今もそうである。何しろ、ネット上ではすべての不幸の元凶が韓国にある、といった言説が2000年代中盤以降蔓延していたのである。現在「嫌韓」を経て「呆韓」「忘韓」になったといった言われ方もするが2000年頃まで一般の人にとって韓国はそれほど気になる国ではなかったのではなかろうか。当時10代〜30代ぐらいの多くの人間にとってはこの程度の認識だったかもしれない。

〈同じ黄色人種で、ソウルオリンピックを成功させたアジアの立場が近い国。キムチとか辛いものが好きで、よくデモをやっている国。統一教会合同結婚式は意味が分からないけど、大韓航空機撃墜事件は気の毒でした。チョー・ヨンピル、ケイ・ウンスクの歌は聴いたことあるよ〉

 ところが、明らかに韓国に対する扱いが変わるのを感じた騒動があった。2002年、日韓サッカーワールドカップである。元々日本の単独開催が有力視されていた。と思ったらいつの間にか「コリアジャパン」ということになっていた。一体なんじゃ、こりゃ? と思いつつも「まぁ、そうなったからには一緒に成功させるか」といった空気に日本人はなっていったのである。ところが大会が開始すると空気が変わった。私が「こりゃ、韓国おかしいぞ」と思ったのが決勝トーナメント1回戦の日本VSトルコ戦だ。

 当時のテレビは大会の盛り上がりを伝えるべく、韓国国内のスポーツバーやパブリックビューイングの様子も紹介していたのだが、日本が負けたところで韓国代表の赤いユニフォームを着た韓国人が大喜びをしたのである。それ以前の試合でも日本がゴールしたところで韓国人がブーイングするなどのシーンは見られたが、トルコ戦では「日本が負けてここまで喜ぶか?」といった気持ちは抱いた。

 韓国は決勝トーナメント1回戦のイタリア戦、準々決勝のスペイン戦でダーティプレイを連発し、さらには不可解な誤審やイタリアのエース・トッティへの意味不明レッドカードなどもあり、FIFAが選ぶ「ワールドカップの10大誤審」にこの2試合から2つずつ入ったのだった。これは今でも韓国サッカーの汚点になっており、2ちゃんねるでも事あるごとに蒸し返されるイシューとなっている。

 私は世界中の人々とともにワールドカップ観戦をしたいと考えてタイ・バンコクへ滞在していたのだが、世界のバックパッカーが集うカオサンロードでは、イタリア人とスペイン人が激怒しまくる姿を見たものだ。あとはすでに敗退していたイギリス人やアメリカ人もイタリア人・スペイン人を慰めていた。

 そして準決勝のドイツ戦、カオサンロードの近くにある安宿街の韓国料理店で韓国のサポーターとともに試合を観戦した。試合が始まる前、韓国人と喋ったのだが「日本はもう負けちゃって残念だね。我々の代表は優勝するから!」などと言われた。喜ぶ彼らを前にしているだけに、「韓国の勝利を願い、一緒に応援しよう!」と私も答えた。だが、内心はドイツに圧勝してもらい、この高慢ちきなお調子者どもがシュンとなる姿を見たかった。そう、共同開催のパートナーである日本が負けた時のあの喜びっぷりを逆にオレがやってやるか、とさえ思ったのである。ただ、その場で日本人は私と日本人の友人2人の計3人だけ。他の客はほぼ全員韓国人なので、無用な挑発行為はやめた。試合中は、ドイツのチャンスには黙り、韓国のチャンスにはガッツポーズをする、というプレイをした。結果はドイツの勝利。その時の韓国人の落ち込みようはすさまじく、さすがにビールを付き合ったのだった。

 決勝はブラジルとドイツになったが、あろうことか、韓国人はブラジルを応援するのはまだしも、ドイツのFW・クローゼやGK・カーンの遺影を丁寧にも作り、「負けて下さい」とのパフォーマンスをしたのだ。なぜそこまで恨むんだ! 一つ印象的だったのが、ブラジルとドイツが決勝にコマを進めた翌日のバンコクの英字新聞の記事にこうあったことだ。

〈ドイツとブラジルありがとう! ようやく最終的にはワールドカップがまともなワールドカップに戻ったよ!〉

 イタリア、フランス、イングランド、スペイン、アルゼンチンといった強豪国が早々と姿を消す大会で決勝が「トルコVS韓国」だったら悪夢であるといった論調の記事である。疑惑の判定が続いた韓国はさておきトルコはとんだとばっちりを受けた感はあるが、この記事の論旨には納得した。

◆サッカーに関する日韓の諍い

 この時、日本のネットでは「嫌韓」の動きが出始めてきた。準決勝まで韓国代表が進んだにもかかわらず、日本は決勝トーナメント1回戦で敗退したことをバカにするような韓国人の意見も紹介されたからである。

 サッカーに関する日韓の諍いについては、2011年1月のアジアカップ準決勝の日韓戦の時に発生。ゴールを決めたキ・ソンヨンが、頬をかく「猿マネパフォーマンス」をし、日本を侮辱した。キは「観客席の旭日旗を見て涙が出た」といった理由を揚げ、日本への対抗意識を示したのは旭日旗のせいである、という説明をした。しかし、これは単なる差別主義者との批判から逃れるための咄嗟に作り上げた言い訳だろう。

 また、東日本大震災の後に行われたACLアジアチャンピオンズリーグ)のセレッソ大阪対全北戦で、全北のサポーターが「日本の大地震をお祝います。」と書かれた垂れ幕を掲げ、セレッソ側の抗議で前半途中に取り下げられたこともある。旭日旗についてはキ・ソンヨンの件以降問題視されるようになり、2013年7月にソウルで行われた東アジア大会の日韓戦で日本のサポーターの男性が旭日旗を掲げ、没収された。男性は韓国のサポーターが伊藤博文殺害で知られる安重根の横断幕を掲げたことへの「仕返し」として旭日旗を掲げたとNEWSポストセブンの取材に対して明かしている。他にも2017年5月にACL川崎フロンターレ対水原戦で川崎サポーターが旭日旗を掲げ、AFC(アジア・サッカー連盟)主催の1試合の無観客試合と罰金1万5000ドルが言い渡された。

 2014年3月のJリーグ浦和レッズサガン鳥栖戦では、観客席への入り口に「JAPANESE ONLY」と書かれた横断幕が掲げられた。「日本人しか入ってはいけない(外国人お断り)」とも解釈できるだけに問題視され、浦和は次のホームでの試合である清水エスパルス戦でJリーグ史上初の無観客試合実施という処分を受けた。なお、この横断幕の意図は、開幕前に浦和へ移籍してきた元韓国籍李忠成に向けたもの、という分析もある。

 2017年5月には浦和レッズと済州がACLで試合をしたが、1点差でリードする浦和が試合終了直前にコーナーポスト近くでボールを回し、時間稼ぎをしていたことから小競り合いが発生。そこになぜか韓国の控え選手、ペク・ドンギュがピッチ内に乱入し、阿部勇樹にエルボーを食らわせた。浦和の勝利となった試合終了後、槙野智章が大喜びしていたらそれが韓国にとっては「挑発行為」に見えたと主張しており、槙野が韓国の選手やスタッフから追いかけられる事態にもなった。

 話はサッカーから外れる。日本では2004年の『冬のソナタ』を始めとした韓流ドラマや、東方神起を始めとしたK-POPスターが大ブレイクをする時期の少し前でもある。その頃、新大久保のコリアンタウンには次々と韓流グッズショップやサムギョプサルの店ができ、韓流ブームはメディアも巻き込み、女性を中心に盛り上がっていった。そんな状況を冷ややかに見ていたのが、2ちゃんねるを中心としたネットの掲示板の男たちである。当時のマスメディアには「韓国の男性はロマンチック」「韓国の男性は身長が高くて素敵」といった論調が多く(韓流好き女性のコメントで構成される番組が多かった)、日本の男が見下された感があったため「なんかむかつく」といった状況があり、嫌韓はくすぶり始めてきた。2ちゃんねるでは公然と「チョン」という言葉が使われ「ホロン部」(検索してください)などの言葉も使われていた。

 そして2005年には漫画『マンガ 嫌韓流』(2005年)が大ヒットをし、嫌韓や韓国・在日への差別への土壌は固まってきた。2006年、韓国から「オーマイニュース」という市民記者サイトがやってきて、親韓系の記事が多数書かれるようになり、コメント欄では嫌韓派の荒らしコメントが目立った。オーマイニュースの「市民記者」の中には左翼活動家もおり、親韓・親中の記事も数多く掲載されていた。2ちゃんねるでは韓国を揶揄する書き込みが続々とされ、語尾に「ニダ」をつけてバカにする者も多数いた。(続く)

ネットニュース編集者・中川淳一郎氏による「ネットの反差別運動の歴史とその実態」レポート(全4回中第2回・文中一部敬称略)。

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 2006年12月に在特会在日特権を許さない市民の会)が結成され、「様々な特権を甘受する在日を許さない」といった論旨の主張を行うようになる。そこから先は「朝鮮学校襲撃」(2009年)、「カルデロン一家追放抗議」(2009年)、「尖閣諸島抗議デモ」(2010年)、「水平社博物館前差別街宣事件」(2011年)、「(反日活動をする韓国女優をCM起用した)ロート製薬襲撃」(2012年)などに繋がり、そして2013年2月の街頭における「在特会VSしばき隊を含めたカウンター」に繋がるのだ。

 在特会及び「行動する保守」、そしてネトウヨの活動は竹島従軍慰安婦を巡る日韓外交関連のニュースが増えれば増えるほど活発化する。つまり、「韓国が反日的である」という証拠を得れば得るほど嫌韓度合いが高まり、ネットで差別的なことを書く頻度が高まり、街頭での抗議活動が活発になっていくのだ。彼らがデモをする根拠であり正当性だと捉える「在日特権」の多くはデマである。「司法試験の一次試験免除」「水道代無料」「マスコミに在日枠がある」など様々だが、ネット上に転がった真偽不明の情報を繋ぎ合わせて一つの「在日は優遇されている。一方日本人は虐げられている」というストーリーを作り上げる。「嫌韓」において決定的な出来事は私は2011年以降2つあると考えている。一つが2011年の「フジテレビデモ」、そして2012年の「李明博竹島上陸&天皇への謝罪要求」である。

 フジテレビデモは「フジテレビは韓国系のコンテンツを流し過ぎる」という俳優・高岡蒼甫(当時)によるツイートが発端である。結果的に高岡は所属事務所に解雇されるのだが、この時「愛国の義士・高岡を見殺しにしていいのか!」とばかりに5000人もの人がフジテレビを取り囲み、フジテレビが韓国コンテンツを流さないよう要求し、電波使用の免許取り消しを訴えたのだ。李明博の件は大統領任期切れ直前の人気取りパフォーマンスであり、なんとか退任後に自らの身を安全にしようという個人的な利益のための行動だったといえよう。この2つの件が現在の「反差別界隈」とのつながりにおいて重要なのは、一般人が明確に韓国に対する嫌悪感を示したことにある。こうした背景の中、排外デモの参加者数も増加し、開催頻度も高まり、全国各地で行われるようになっていく。

 これ以前は、嫌韓については「頭のおかしいネトウヨがなんか騒いでるな」といった扱いだったのだが、この2つの件において「韓国はいい加減にしてくれ……」という感情をノンポリも抱くようになったのだ。或いはネトウヨに転向する者も増えたのだ。私もフジテレビデモは取材に行った。コラムでは自分の主観で「愚者の行進」とバッサリ切り捨てるとともに、ニュース記事としても執筆し、彼らの主張の珍妙さを紹介。多くのポータルに配信し、多数のPV(アクセス数)を獲得した。

 当時はサムスンヒュンダイが絶好調で、日本の電機メーカーや一部自動車メーカーは不調だった。しかも民主党政権下だっただけに、日本が韓国・中国に乗っ取られることを心配した者も多かったのである。これが妄想にまみれた、いわゆる「ネトウヨ脳」というものであるが、この恐怖が2ちゃんねるツイッターでは蔓延していた。だからこそ、路上での韓国に対する罵倒はすさまじいものがあった。

 毎週末のようにデモは行われ、在特会会長桜井誠をはじめ、おなじみのメンバーが韓国・在日への罵倒のシュプレヒコールをする。「チョンコーチョンコーチョンコチョンコチョンコー」と麻原彰晃の「尊師マーチ」に登場する「ショーコーショーコーショコショコショーコー」にかけた替え歌で在日を罵る者もいた。2013年2月、大阪・鶴橋では中学生の少女が「いつまでも調子にのっとったら、南京大虐殺やなくて鶴橋大虐殺を実行しますよ!」とまで言い放ち、周囲の大人から拍手喝采を受けた。この時のデモの酷さについては、ツイッターまとめサイトtogetterの〈【第2部】中学生の「鶴橋大虐殺」宣言に喝采を送る自称愛国日本人の絶望ヘイト街宣(2・24)〉に詳しくまとめられている。本当にどうしようもないほど酷い(https://togetter.com/li/461654)。

 とにかく2012年夏から2013年春にかけ、嫌韓デモは酷かった。従業員2名の零細企業経営者である私は休日がないため、土日もPCを立ち上げて仕事をしていたのだが、毎週のようにニコ生のデモ中継をBGMとし、日々のニュース編集作業のさ中、デモ参加者の罵詈雑言をメモっては批判の材料としていた。幸いなことに私はこうした状況をニュースとして世の中に出せるだけの回路は持っていたため、「大阪の嫌韓デモで女子中学生が『鶴橋大虐殺を実行しますよ』発言」といった記事は出していた。こうした記事を出すと、当然、ネトウヨと思われる人々からの抗議は寄せられていた。

◆かくして「しばき隊」は結成された

 野間は2013年1月30日に「レイシストをしばき隊 隊員募集」をtumblrで呼びかける。「新大久保で一般市民や近隣店舗に嫌がらせしたり暴行を働くネット右翼の邪魔をします」とし、2月9日、10日、17日の「しばき隊」活動参加者を募った。私も野間のこの呼びかけには賛同し、一瞬行こうかとは思っていたものの、仕事のことを考えるとデモ開始時刻には間に合わないことは明白だった。その代わり、こちらは記事に出す、という形で反差別の活動はしようと考えていた。野間の呼び掛け文はこう続いた。

〈さて、しばき隊の行動では、これらのデモ自体は放置します。彼らの場合、デモの前後に近隣の店(特に外国人経営店舗)や通行人に暴言を吐いたりいやがらせをしたり、ときには暴行を働く場合があります。「しばき隊」の目的は、彼らが狭い商店街でそうした行動に出た場合にいちはやく止めに入ることです。

 しばき隊という名前ですが、しばきたいだけです。実際にはあくまで非暴力でお願いします。したがって武器等の携行もご遠慮ください。カウンター・デモでも抗議行動でもありません。プラカード等は持ち込まないでください。もちろんプラカードその他を使って沿道から反対の意志表示をしたい人はご自由にどうぞ。しかし「しばき隊」としては、今回はそうした抗議アクションを目的としません。抗議終了後、しばき隊に合流してください。

 ご希望の方は以下までメールをいただければ、集合場所・時間等の詳細をお伝えします。〉

 かくしてしばき隊は結成された。そして、2月9日が彼らの初活動日となった。同時期にプラカードを持った人々も登場し、握手する二つの手のイラストがあり、日本語と韓国語で「仲良くしようぜ」とあった。これはあくまでも融和を持ちかけるもので、罵倒を続ける差別主義者に対し「まぁまぁ」となだめるような平和的な提案である。

 野間の考えとしては、差別主義者を黙らせるには乱暴な言動も必要である、というものがある。しばき隊にはガタイがよくコワモテの高橋直輝(添田充啓=後に沖縄の米軍基地建設反対運動に参加)とその他が「男組」として参加し、差別主義者の恫喝に大いに役立った。動画を見ると、男組を含めたしばき隊に囲まれ、差別主義者が本気でビビってる様は見て取れる。ネトウヨはこれを見て「1対8でダセェww」などと言うが、恫喝するのが目的なのだからやり方としては理にかなっているのだろう。こんな感じでしばき隊が恫喝・恐怖部分(実際は手を出さぬよう指示)を担い、プラカ隊が「仲良くしようぜ」の他にも「在日外国人と特別仲良くなって世界各国のめっちゃ美味しいモノを食べまくり隊」などのプラカードを掲げた。これを主導したのが現在エストニア在住の木野寿紀である。また、3月31日の新大久保における嫌韓デモでは、街頭ビジョンで「排外主義に対するメッセージ」が流された。メッセージは宇城輝人、竹田圭吾中川敬江川紹子有田芳生津田大介五野井郁夫小田嶋隆宇都宮健児の9人によるもので、人種差別への批判を淡々と各人が述べていた。

 基本的に排外デモ参加者は、ネットの中及び警察に守られたデモのお仲間の内にいる時だけ血気盛んである。デモが終わった瞬間、いそいそと日章旗旭日旗をカバンにしまいこみ、各々がバラバラとなって最寄り駅へ急ぐ。そこにしばき隊が尾行でもし、ド詰めをしたらさっきまでの威勢の良さはなんだったんだ? と思うほどである。それは、ジャーナリストの安田浩一が著名ネトウヨの「ヨーゲン」の自宅を突き止めた時の状況が分かりやすい。現代ビジネスの〈ネットでヘイトスピーチを垂れ流し続ける中年ネトウヨ「ヨーゲン」(57歳)の哀しすぎる正体〉という記事がそれだ。

 安田はあまりにも酷い差別発言をツイッターで繰り返すヨーゲンが、なぜそんな発言をするのか知るべく、ツイッターでやり取りをしていた。そうした中、ヨーゲンは2013年12月、「じゃ、俺と豪遊しにいこうか、全部驕ってくれる?たまには日本人にたかられるのもいいだろよ…」と安田にメッセージを送った。ここで「日本人にたかられる」とあるが、ヨーゲンは安田を在日韓国人扱いしていたのである。そして、安田は取材を重ねた末にヨーゲンの自宅住所を突き止め、2014年1月にヨーゲンの家を本当に訪れたのだ。インタホンを押したところ「帰れ!帰れ!」と言われたという。取りつくしまもないため、ツイッターでDMを送ったところ、30分後ならばいいと言われた。その時の様子を安田はツイッターでこう説明している。この時は連続ツイートをしており、数字はツイートの「●番目」を指す。「Yさん」がヨーゲンのことである。

〈【5】約束通り、30分後にYさんの自宅を再訪しました。しかし、私を待っていたのはYさんではなく、1台のパトカーと数人の警察官だったのです。〉

〈【6】私はYさんの家の前で状況を見ていたわけですが、そのとき、ドアが開いて、警察官に守られたYさんがちらりと顔をのぞかせました。なんと、Yさんは部屋の中でサングラスをかけていました。おそらく私に素顔を見られることが嫌だったのでしょう。〉

 結局、ネトウヨ活動というものは安全な場所でしかできない愚行であり、いざ「敵」を目の前にするとこうして狼狽するものである。そういった意味でしばき隊を含めたカウンター勢が取った戦略は「街中でヘイトスピーチを撒き散らかす」という行為を委縮させる効果はあったといえよう。それまで在特会の活動や排外デモについて積極的に報じることが少なかった大手メディアも、カウンター出現以降、デモを批判的論調で報じるようになる。彼らは2011年、2012年のもっとも差別デモが活発だった頃は「在特会の宣伝になる」といった理由から報道を控えていた。いや、違うのである。多分「どーせバカが騒いでるだけだろう」のように問題を矮小化していたのだろう。本来はさっさとこんな日本の恥のような活動は報じ、叩いて良かったのだ。

 前出の「鶴橋大虐殺」のtogetterのまとめには、その後カウンター勢力の重要人物になる者も登場している。鹿砦社がカウンターの内情を明かした書『反差別と暴力の正体』で重要プレーヤーたる「声かけリスト作成者」(詳細は同書参照)として登場するツイッターID「ITOKEN」は鶴橋の街宣の際に、こうツイートしている。

〈いまニコ生で見てるんですけど、連中のデモっていつもこんな感じなんですか?〉

 排外デモをツイッターで実況することで知られる「三羽の雀」はこう答えた。

〈最近とくに酷いです。とくにこの清水は酷い〉

 ここでいう「清水」は、右翼団体構成員を名乗り、前出「チョンコーチョンコー…」をマイクでがなり立てた男だ。この頃は未成年だった。三羽の雀による当時のツイッターの書き起こしによると、清水は「美しい美しい日本人をここまで怒らせてしまったのは貴方達ゴキブリ朝鮮人、在日チョンコなんですよ。〜四足歩行で歩け。二足歩行で歩くな」「在日朝鮮人の人、手ぇ挙げて。息をするな。日本人の酸素吸うな。窃盗やないか。酸素が減るから死んでください」と述べていた。

 ITOKENのこの感想を見ると、後に「反差別活動」にハマることになる彼にしてもまだネトウヨによる排外デモのすさまじさは把握していなかったようだ。かくして排外デモが過激さを増すにつれ、カウンターは支持を集め、これ以降のデモではデモ参加者よりもカウンターの方が人数で圧倒することが多くなっていく。

 そして2013年3月14日、参議院会館にて「排外・人種侮蔑デモに抗議する国会集会」が行われた。この時は民主党(当時)の有田芳生議員、徳永エリ議員らが出席したほか、安田浩一、弁護士の上瀧浩子らも現状報告を行った。そして在特会による朝鮮学校の抗議活動の動画も長時間を割いて流し、ヘイトスピーチの酷さを参加者と共有した。さらにはかつてネトウヨだったという男性が、懺悔の念をスピーチするといった流れにもなった。安田は彼の顔出しスピーチを「勇気ある行動」と評した。

 この集会で私は有田と名刺交換をした。すでに私のことは知っているようで、その段階でツイッターでは相互フォロー関係になっていた。つまり、私自身は明確にヘイトスピーチには反対の立場を取っており、有田との間には同じ問題意識が共有されているということになる。この日、現場には野間もいた。一応「どうも、はじめまして」と会釈をしたら無表情で軽く頭を野間は動かした。この集会の模様はメディアにも登場し、ヘイトスピーチの実態を知らしめるには良い会合になったのではないだろうか。

 こうした状況を経て、朝日新聞、TBS、東京新聞、神奈川新聞等のリベラル系メディアの支持も受け、カウンターは称賛を浴びるようになる。野間はメディアの取材を受けるようになり、『「在日特権」の虚構』などの書を執筆し、正義の活動家としての注目を浴びた。ようやく「反差別」運動が日の目を浴びるようになるとともに、排外デモ・ネトウヨの愚が多くの人に知られるようになっていった。デモ参加者も減少の一途を辿る。途中、双方で逮捕者を出すなどはしていたが、2013年夏になると、カウンター勢力の優勢は明らかだった。

◆攻撃性を帯び始めてくるカウンター

 2013年9月22日、「差別撤廃 東京大行進 The March on Tokyo for Freedom」が行われた。これは、マーチン・ルーサー・キング牧師が行った米国の差別撤廃を訴える「ワシントン大行進」へのリスペクトを込めたデモである。差別撤廃の他にも、LGBT関連のシュプレヒコールもあげた。「東京大行進」は2014年、2015年にも行われている。

 まさに、初の「東京大行進」の前、カウンター側は高揚していた。ひょんな縁から夏の暑い夜、私は新宿の居酒屋に呼ばれた。そこには、松沢呉一、「プラカ隊」の木野、男組の高橋をはじめとしたカウンター勢力が集っていた。彼らは反差別の活動が実を結び、「東京大行進」にも繋がったことを喜んでいた。当然私も「ヘイト撲滅のための良い活動でした。これからも応援します」といったことを言ったと思う。この頃、カウンターは「大義名分」「正義」があっただろう。

 なぜ、私がこの場に呼ばれたかといえば、呼ばれたからだ。この飲み会の参加者に一人知り合いがいて、その人物から深夜12時頃突然電話が来て、タクシーに乗って新宿まで行ったのだ。「アンタに会いたい人がいるし、他の人も『来なよ』と言ってるよ」とのことだ。そこで次々とカウンターの人々と挨拶をし、和やかに会話をした。現在、私のことを罵倒する木野や手塚空(後に自転車でデモ隊に突っ込み暴行容疑で現行犯逮捕される当時東大生)とも和やかに喋った。そんな中、私を呼ぶ男がいた。『日本会議の研究』がベストセラーになり、森友学園問題で一躍名を馳せたノイホイこと菅野完である。

「なぁ、アンタと喋りたいことがあるんや」

 そう菅野は言った。この後は20分〜30分ほど菅野の演説をひたすら聞き、私は「はい」「なるほど」を言うだけだった。彼は差別に関しては造詣が深いのは分かったが、とにかくマウンティングを取ってくるヤツだな、としか思わなかった。さっさと別の人間と喋りたかったが、彼の演説が終わらないのでなかなか席を離れることができなかった。

 東京大行進は3000人が参加したとされ「大成功」の評もあった。カウンター活動に参加した経験を持つA氏は「あそこでやめておけば良かったのに……」と語った。というのも、2013年2月から9月は、ネトウヨを完膚なきまでに叩きのめした7ヶ月だったからだ。実際、ネトウヨの間にはしばき隊への恐怖感もあり、参加者も減少しており、当初の「ネトウヨによる在日に対する攻撃」を「ネトウヨVS日本人カウンター」という構図にする、という野間の目論見は達成されていたのである。この段階において、野間の戦略は見事としか言いようがない。在日にとってもカウンターとして多くの日本人が参加したことについては心強かったことだろう。

 だが、こうした成功体験もあることからカウンターは攻撃性を帯び始めてくる。当初穏健派だとみられていた木野だが、9月になるとこうツイートしていた。

〈先日言ったように反レイシズム活動には今後時間を裂けなくなってしまうんだけど、ひとつやりたいことがある。「保守速報」みたいな差別煽って金儲けしているサイトを、全部ぶっ潰したい〉

 それ以後の彼の発言は野間のコピーのような過激なものも目立つようになり、「圧力でレイシストを黙らせる」という手法が末端にも定着したことをうかがわせる。東京大行進について、野間は「東京大行進沿道:ビックカメラ前の歩道橋からデモを撮影しようとしてしばき隊にしばかれているネトウヨの方。」とツイートし、3人のしばき隊員が1人のネトウヨを囲んでいる写真を公開している。

 ネトウヨはしばき隊のことが気になって仕方がなく、反差別的言説を垂れ流すと「しばかれる」といった恐怖を抱き、次のデモには参加しないゾ! という決断をするに相当する「ビビる画像」である。だが、この段階ですでにこの画像に対し、異議の声もあがっている。

「撮影しようとしただけで?『仲良くしようぜ』はどこ行った?」「たった一人を三人がかりで、顔近すぎ。社会的相当性を超えた単なる威迫に見える」というツッコミは入っており、しばき隊の過激な「ド詰め」に対する疑問も存在した。ただ、当時のマスコミの風潮としては、カウンター及びしばき隊は「正義の志士」扱いである。

 在日朝鮮人2.5世だというフリーライターの李信恵は、木野が言及したネトウヨ2ちゃんねるまとめサイト「保守速報」及び桜井誠に対し、名誉棄損の裁判を起こした。Wikipediaにそこはまとめられているので引用する。

〈2014年8月18日、民族差別的な発言で名誉を傷つけられたなどとして、在日特権を許さない市民の会在特会桜井誠元会長および在特会に550万円、保守速報の運営者に2200万円の損害賠償を求める訴訟を大阪地裁に起こした。李の訴えによれば、桜井誠は神戸市での街宣活動および短文投稿サイトにて、民族・性別・年齢を侮辱する発言・書き込みを行い、保守速報も民族性を侮辱する書き込みをまとめ記事に掲載した、という。550万円の提訴を受けた桜井誠は「(李信恵による)ネット上でのでたらめな記事について反訴を予定している」とコメントした。2016年9月27日、大阪地裁は「社会通念上許される限度を超える侮辱行為」「在日朝鮮人に対する差別を助長、増幅させる意図が明らか」として、在特会と桜井に対し計77万円の賠償命令を出し、桜井側から起こされた反訴を全て棄却した。〉

 当時、李に対するネトウヨからの罵倒はあまりにも激しかった。彼女も毅然と反論するものの、一人の女性が受ける罵倒としては異常なものだった。在日で真っ向からネトウヨに反論する人間など滅多にいないだけに、李は総攻撃をくらうこととなる。彼女に関しては安田と李の対談でこんな記述がある。(『世界』2014年11月 岩波書店)。これは前述「鶴橋大虐殺」スピーチについて言及したものだ。安田は、デモ隊から顔と名前が知られている李に対する個人攻撃がないかを心配していたという。

〈その日のデモも低劣きわまりないものでしたが、李さんへの個人攻撃はないまま終わり、私はそれでほっとしたんです。そこで私は「よかったね」と、李さんについ言ってしまった。李さんは表情を歪めて、泣いて、「死ね、ゴキブリって私はずっと言われていたやんか、あれは私に向けられた言葉やないの?」と。そう言われて初めて気がついた。それまで私は、ヘイトスピーチを「言葉の暴力」と考えていましたが、そんな生易しいものではなかった。暴力そのものだと初めて実感したのです。それに気づかせてくれた李さんに心から感謝しています〉

 彼女は当時、カウンターにとっては守るべき象徴的存在になっていた。カウンターは東京・大阪両派が主流で他の地域で排外デモがある際にも動員はかけられていたが、運動全体を象徴する存在として李がいた。彼女はチマ・チョゴリを着用して外国特派員協会にて記者会見を行いヘイトスピーチの現状を述べたり、ツイッターでも積極的に情報発信をしていた。彼女が何かを発信するとカウンターはそれに賛同の声をあげ、一方で2ちゃんねるではそのツイートを元としたスレッドが立ちあがり彼女への壮絶なるバッシングが繰り広げられていた。

 2ちゃんねるではいつしか「差別の当たり屋」という異名がつけられていた。これが意味するところは、彼らが言うところでは「本来差別ではないものについても言いがかりのごとく『差別だ』と主張し被害者ぶる」ことを意味する。しかし、差別というものは当人が感じれば差別なわけであり、李に対するこの異名は不当なものといえよう。「声の大きい在日」「主張する在日」という存在に対し、「差別の当たり屋」という名前をつけたのだと私は考えている。李や辛淑玉という「目立つ在日」「虐げられたと主張する在日」に対して当の在日からも「彼女達はやり過ぎ。私達まで同類だと思われてしまう。正直迷惑だ」との声もある。ただ、彼女のツイッターに対してはあまりにも激し過ぎる罵倒が連日寄せられており、厳然と差別は存在していたのだ。李の保守速報及び桜井誠への裁判にはカンパも集まり、支援の輪が広がっていた。結果は前出の通り、李の勝訴である。

 一方、2014年11月をもって桜井誠在特会の会長職を退き、筆頭副会長の八木康洋に会長職を渡し、自らは在特会からは去った。風を読むことに長けた桜井なだけに、これ以上在特会としてヘイトスピーチを撒き散らかし続けるよりは個人的な活動をした方が得策かと考えたのかもしれない。桜井は2016年7月の都知事選に「日本第一党」党首として出馬し、5位となる11万票以上を獲得した。(続く)

ネットニュース編集者・中川淳一郎氏による「ネットの反差別運動の歴史とその実態」レポート(全4回中第3回・文中一部敬称略)。

 * * *
 こうした流れがあった中、日韓関係に目を向けてみよう。2013年2月、新たに韓国大統領に就任した朴槿恵従軍慰安婦問題等を含めた「告げ口外交」を海外諸国に対して繰り返し、徹底的に日本を悪者にする戦略に出た。日米韓首脳会談でもカメラがいる場では安倍に対してそっけない態度を取り、オバマ大統領を困惑させた。当初、朴は親日派だと韓国内で捉えられていたため、朴自身も支持率を上げるためには安倍及び日本に対して強気の姿勢を見せればいいと考えていたのだ。そして、2014年7月、舛添要一東京都知事が韓国を訪問し、朴にへりくだるかのようなお辞儀をしている様が多数報じられた。さらには、東京都が新宿区の土地を韓国学校拡充のために用意するといった宣言も2015年3月にし、舛添に対してはネトウヨを含め嫌韓派からリコール運動も発生した。

 しかし、この段階で韓国はもはや経済的にもガタガタで、「ヘル朝鮮」と言われるほど若者にとっては希望のない状態に落ち込んでいた。2016年には朴槿恵と40年来の友人・崔順実による収賄等の疑惑が発覚。ソウルでは毎週のように数万〜100万人規模の朴槿恵退陣要求デモが発生する状況になっていた。

 基本的にネトウヨを含めた差別主義者は、韓国が元気であればあるほど、そして「反日」をする余裕があるほど養分が与えられ、元気になり路上に繰り出し、ネットで呪詛を吐き散らかす。だが、2015年以降、もはや韓国は反日をするどころではなかった。国内経済を立て直すことが急務で、反日で支持率を上げようといった小手先の戦略が通用しないほどになっていたのだ。朴槿恵も就任当初の強気な告げ口外交は鳴りを潜め、日本側も「嫌韓」どころではなく「呆韓」になり、あとは「忘韓」状況になった。国際関係においては、イスラム国の台頭に伴う邦人の拘束などもあり、韓国の存在感は下がりまくっていた。また、朴槿恵があまりにも反日的な態度を示していただけに、かの国が苦境に陥ろうがどうでもよくなっていた。

 だから、ネトウヨにしてもデモをするにも題材が見つからない、といった状況になっていったのだ。そんな中、反差別界隈が目を付けたのは「差別をしている」と自ら認定する人間への攻撃である。とにかくネトウヨが活動意義を見出せず活動自体が盛り下がる中、反差別界隈はなかなか運動の成功が忘れられず、ターゲットを次々と見つけるようになる。それこそその対象は本来「反差別」の点で一致していたリベラル派の人間に対しても及んだ。ちなみにこの間に、大阪で「しばき隊リンチ事件」も発生している。これは2014年12月16日のことである。これについては後述する。

 本来はリベラルと言われる人間であろうとも、ネトウヨ認定をし、一斉に攻撃をしかけてきた件について、その象徴的な騒動が「女性器アート」で知られる漫画家・芸術家のろくでなし子にまつわるものだ。彼女が「マンボート」という自身の性器をモチーフにしたカヌーをクラウドファンディングで作ろうとした際、寄付をしてくれた人に自身の性器の3Dデータを特典として頒布することにした。クラウドファンディングは成立し、カヌーは完成したのだが、警視庁がわいせつ物頒布等の罪等で2014年7月に彼女を逮捕したのだ。さらに同年12月、作家・北原みのりの経営する女性向けアダルトグッズショップにて「デコまん」という性器をモチーフとした作品を展示したことからわいせつ物公然陳列の疑いで逮捕された。

 この時、ろくでなし子の支援に回ったのが反差別界隈も含めたリベラル陣営である。逮捕の理由も不可思議なものだし、表現の自由を守るためにもろくでなし子の逮捕は「不当逮捕」であるといった見方をしたのだ。結果的にろくでなし子は起訴され、裁判に突入。この段階ではろくでなし子は反差別界隈にとって「神輿」の一人だった。裁判費用のカンパも集まった。しかし、事態が急変したのが2015年11月の「ぱよぱよちーん」騒動だ。

 この騒動の発端は、はすみとしこという漫画家が描いたシリア難民を揶揄するイラストに端を発する。実在するシリアの少女をモチーフにイラスト化し、彼女が不敵に笑う背景の後ろにこうメッセージを書いた。

「安全に暮らしたい 清潔な暮らしを送りたい 美味しいものが食べたい 自由に遊びに行きたい おしゃれがしたい 贅沢がしたい なんの苦労もなく生きたいように生きていきたい 他人の金で。 そうだ難民しよう!」

 これが差別的だと批判が殺到したのだ。はすみは海外サイトstepFEEDが選ぶ「シリア難民に最悪のリアクションをした7人」にドナルド・トランプやFOXニュースとともに選出された。このイラストは、ジョナサン・ハイアムという写真家による写真を、はすみがトレースして作ったものだった。こんな使われ方をされたことにハイムはショックを受けたとツイート。また、はすみが恥知らずだと批判した。後にはすみはフェイスブックからこのイラストを削除した。

 そして、はすみのフェイスブックでこのイラストに「いいね!」を押した(ないしは他の方法での支持表明)人物約340人の名前・所属・出身校等フェイスブックに公開していたデータを反差別界隈の一人がリスト化した。これを「はすみリスト」と言う。そこにツイッターユーザー「反安倍 闇のあざらし隊」(以下「あざらし」)を名乗る反差別界隈の活動家がネットで晒すと宣言。これを「はすみしばきプロジェクト」という。その宣言通り、実際にその情報はウェブ上に公開された。

◆「ぱよぱよちーん」発言でレイシスト認定

 当時、反差別界隈はネトウヨ以外からもその攻撃性からすでに叩かれる存在にはなっていたが、さすがに個人情報晒しはやり過ぎだろうということであざらしに対して批判が殺到。だが、あざらしレイシストに対してはそれくらいしなくてはいけない、といった主張をし、自身の行為の正当性をアピールした。

 実際にリストを作ったのは別人だったものの、その後の公開などに積極的に関与したのがあざらしであることから、あざらしの個人情報暴き運動がネット上で開始したのである。いわゆる「ブーメラン」というヤツで、やられたらやり返す、ということだ。そんな時、突如として現れたのが元タレント・千葉麗子だ。彼女のツイートをきっかけに、あざらしがセキュリティソフト関連の会社に勤務する男性・Kであることが明らかになり、さらには千葉とKのツーショット写真も過去の千葉のツイートから発掘された。後に千葉は『さよならパヨク』という書でKと愛人関係にあったと明かしている。出会ったきっかけは、反原発運動である。そして「ぱよぱよちーん」についてだが、2013年末から2014年1月初旬にかけてのKから千葉へのツイートがまとめられた。そこにはこんな言葉が並ぶ。ハートマークや絵文字付きの実にファンシーなツイートの数々である。

〈レイちんぱよぱよちーん 今日は後ほどにゃん〉
〈レイちん、あけおめ、ぱよぱよちーん 今年も力を合わせてがんばろ〉
〈レイちんぱよぱよちーん 大晦日デートで前髪切ってあげようかにゃ〉
〈普段はハードコアなのですが、レイちんにはデレデレになってしまうものでww〉

「レイちん」が千葉麗子のことで、ぱよぱよちーんは「おはよう」の意味である。レイシストに対する激しい言葉での罵倒を繰り返す、当時50代中盤のKのこれらの発言にネットの一部では大笑いが起きていた。Kの口ひげを蓄えたダンディな顔写真もすでに公開され、セキュリティ専門家としてのスーツをビシッと着用してインタビューに答えるサイトのURLも発掘された。そんな人物が一人の女性に対しては「ぱよぱよちーん」である。ツイッターのトレンドワードにも「ぱよぱよちーん」が入り、ネトウヨも含め、この数日、この言葉は2ちゃんねるツイッターで濫用される言葉となったのである。そして、同時に身バレしたKをおちょくるためにも使われた。

 結果的にKが勤務する企業(外資)の日本法人社長のツイッターにも「セキュリティを守る会社の人間が個人情報晒しをしていかがなものか」といった問い合わせが寄せられ、電凸も相次いだのだろう。Kは会社を去ることとなる。ここで反応したのがろくでなし子である。彼女はこうツイートした。

〈ぱよぱよちーん♪って、すごく腹が立ったり深刻な状況の時とかにつぶやくと、ど〜でもよくなれそうで、なんかいいナ。ぱよぱよちーん♪♪♪〉
〈ぱよちん音頭で ぱよぱよち〜ん♪ぱよちん音頭で ぱよぱよち〜ん〉

 すると、反差別界隈から一斉に批判が寄せられたのである。最初は敬語で諫めるものが多かったが、後に罵倒になっていく。以下は初期の頃の穏やかな「諫め」である。だが、「ぱよぱよちーん」という言葉を使うとネトウヨ、というのは論理的飛躍があり過ぎる。差別の闘士・K氏を揶揄しているからネトウヨ、といった理屈だろうが、そもそも「ぱよぱよちーん」は語感が面白すぎる。だからろくでなし子は使ったのだ。

〈ろくでなし子さんがネトウヨに乗っかるんですか?〉
〈これはないでしょう。ネトウヨとコラボするつもりですか〉
〈ほお、ネトウヨ側に立つと〉
〈マジでショックです〉
〈まだ削除して謝れば間に合うと思いますよ。ろくでなし子さん自身たくさんのデマや曲解に晒されてきたと俺は認識してますが、その揶揄の相手が今まさにそうだということに思い当たらないのですか?〉

 最後のコメントなどワケが分からない。なぜ「ぱよぱよちーん」と書いたら謝らなくてはいけないのだろうか。本稿冒頭(前編の記事)で紹介した「奇妙な果実」の発信者であるBuddyLeeも「ハイ。ゴミ確定」とツイートした。そして、ろくでなし子をレイシスト認定する流れが来た。また、「裁判で支援したのに…」といった意見も来た。この流れが意味するものは、差別の闘士である正義漢であるK(あざらし)をネトウヨと一緒におちょくるとは貴様もレイシストだ! という決めつけである。だが、ろくでなし子自身は基本的には超個人主義で、自分がやりたいことだけをやる人物である。だから「表現の自由の闘士」として勝手に祭り上げられたといった感覚は持っていたし、困惑もしていたようだ。

◆重視するのは「発言内容」より「発言者」の名前

 また、彼らに特徴的なのはいくら匿名のツイッターユーザーが「ぱよぱよちーん」と書こうが批判はせず、名前の立った人物やフォロワーの多い人物だったら攻撃に来る点である。傾向としては「何を言うか」以上に「誰が言うか」を徹底的に重視している。叩く相手も選んで、よりダメージが多くなりそうな人間を選別しているのである。それまでの反差別界隈による「敵認定」した人間の封じ込めの手法はこんな感じである。

【1】(彼らが考える)問題発言の主を発見する
【2】批判を加える。
【3】野間など中心的な人物が突撃の号令とも取れるツイートをする
【4】一斉にその発言者を罵倒する
【5】反論をしようものなら、さらに激しく罵倒をする
【6】時にはtogetterでまとめたりもする
【7】所属先が分かる場合は電話・メール・ツイッターで「おたくの会社には差別主義者がいる」と一斉通報をする
【8】最終的に謝罪の言葉を引き出すか、音を上げさせてアカウント削除に追い込む

 ここまでやられると大抵の人は心が折れ、反差別界隈に屈することとなる。そしてレイシスト認定のレッテルだけが残ることとなる。しかし、ろくでなし子はまったく動じなかった。押し寄せる糾弾者をちぎっては投げ、時には「ぱよぱよちーん」と挑発し、いつしか反差別界隈の反応こそ異常といった空気を醸し出すことに成功したのである。そりゃそうだ。元々の騒動の発端が「『ぱよぱよちーん』とツイートしたらレイシスト」というどうでもいい言いがかりなのだから。顔を真っ赤にしてろくでなし子を叱る人々の方が滑稽に見えて当然だろう。それまでろくでなし子を「変なアートを作る逮捕経験者」程度の扱いをしていた人々が「しばき隊の攻撃に一切めげない強い女」として支持するようになっていく。ろくでなし子自身はこの時の攻撃については「警察の苛烈な取り調べを経験している私がこの程度で折れるわけがない」と語っていた。そして、産経系のウェブサイトironnaのインタビューでもこの時のことを振り返っている。

〈わたしはK氏が気の毒な反面、自業自得でもあることと、パッと見が強面の印象のK氏が「ぱよぱよち〜ん」と過去につぶやいていた事実に、おもわずクスリとしてしまいました。

「ぱよぱよち〜ん♪」

 なんて間抜けで愉快なフレーズでしょう。口にした途端、誰もが脱力感とほっこりとした楽しい気分にとらわれるはず。

 そこで、わたしはおもわず自分のTwitter上でも「ぱよちん音頭でぱよぱよち〜ん♪」と無邪気につぶやいてしまいました。わたしのフォロワーさんもこの間抜けなフレーズに反応し、一緒になってぱよぱよちんちんつぶやいていたところ、突然、しばき隊関係者かその一派であろう人たちから「その言葉を使うな!」「削除しろ!」とものすごい剣幕でわたしを威嚇するリプライをしてきました。〉

 しばき隊がろくでなし子をレイシスト認定しようにも、彼女にはその認識はない。単に「面白かった」というだけの理由で使っていたら突然攻撃をくらい、「だったら売られたケンカは買ってやる」とばかりにろくでなし子はツイッター上でしばき隊とケンカをし続けたのだ。いや、ケンカというよりは合気道かもしれない。元々は反差別界隈の「神輿」の一つであったろくでなし子だが、この段階で完全に敵となった。そこでとばっちりを食らったのが女性の人権問題に取り組み、AV出演強要問題などにもかかわるNPO法人ヒューマンライツ・ナウの伊藤和子弁護士である。

 12月、ろくでなし子に対する攻撃は収まっていたが、しばき隊と散々ツイッターでやり取りをした結果、野間に対しては妙なシンパシーを感じていたようである。野間のことを「野間っち」という呼び方をし、野間と12月27日に飲み会をやることを提案していた。クリスマスムードも高まる12月10日、ろくでなし子はこうツイートした。

〈♪も〜ろびと〜 こっぞ〜り〜て〜 しば〜きま〜せり〜♪
しばきませ〜り しばきませり〜
しばぁ しばぁ〜あ しばきませり〜〜〜♪〉

 これに対し、反差別界隈からも仲間認定されていた伊藤が「思わず笑っちゃうな きっと楽しい人なんだろうな♪ タフだし」とツイート。すると、これにかみついたのが李信恵だ。

〈あなたも本当にダメですよね、明日の朝にヒューマンライツ・ナウに連絡します。今からでも連絡して下されば電話に出ますよ。何に乗っかったか、ほんまいい加減にしてくださいね。〉

 まさかの伊藤への敵認定である。つまり反差別界隈の「敵」となったろくでなし子に共感するようなツイートをした伊藤も「敵」という認定である。これは彼ら基準からすれば、よくあることだ。恐らくしばき隊ウォッチャーとして日本で最も詳しいのは「田山たかし(現・田山さとし)」というツイッターのIDだろう。田山は元々は韓国・在日ウォッチャーで、朝鮮総連朝鮮学校に批判的なスタンスを取る。北朝鮮本国との繋がりがあるにもかかわらず、かの国の問題に対し、在日本の北朝鮮関連組織が問題解決をしない点を追及してきた。韓国政府や韓国の市民団体の反日的活動にも批判的である。となれば、親韓・親北朝鮮的な反差別界隈もウォッチ対象となり、連日のように反差別界隈によるツイートを晒し、矛盾点やダブルスタンダード的な部分を突いている。まさに反差別界隈としては天敵のような存在だ。

 そんな田山は反差別界隈からすると「レイシスト」であり、田山のツイートをRTすると「田山たかしをRTするお前はレイシスト」といった認定を食らうようになる。私が「田山は無用な差別的発言はしていないだろう」と指摘をしたらなぜか「中川淳一郎は田山たかし信者」ということになってしまった。さらにAERAの女性記者が田山のツイートをRTし、共感を意味する「ほんこれ」とつぶやいたところ、反差別界隈から批判が殺到した。彼女自身は普段からリベラルと目されていたため、残念がられたのである。結局本稿で何度か登場したが、反差別界隈が何よりも重視するのは、発言内容ではなく、発言者の名前なのである。その人物が「敵」か「味方」か、「レイシスト」か「反差別の闘士」かで発言の内容がどうあれ、批判か称賛を行う。一旦敵認定してしまうと、それを取り下げるわけにもいかなくなるため、本当はいくら共感した立派な内容であろうがおおっぴらに称賛するわけにはいかない。

◆「しばき隊リンチ事件」と身バレ騒動

 敵か味方の認定については、界隈の中心人物の判断を待つこととなる。それこそ野間や李といったあたりの認定を待つ。いざ認定がくだったところで一斉攻撃が開始する。本来リベラルというものは多様性を重視するはずだったのだが、結局は1960年代の左翼と同様の行動様式で内ゲバを繰り返し、仲間が去っていくのだ。その最たる例が「しばき隊リンチ事件」である。2014年12月16日に発生した件で現在も裁判が継続中だが、概要をザッと述べる。

 この件はカウンター内部で発生し、ネトウヨが関わっているわけではない。いわゆる内ゲバである。被害者はカウンター活動をしていた大学院生・Mで、加害者はLである。Lが右翼からカネを受け取っていたのでは、という噂を聞いたMはカウンター活動のメンバー・Bにそのことを相談。BがLに「Mから聞いたのだが…」とその噂話をしたところLは激怒。12月16日、大阪・北新地の飲み屋にMを呼び出し、1時間にわたり店外でLがMに暴行を加えた事件だ。その場に居合わせたカウンターのメンバーは、この暴行を止めず、救急車を呼ぶこともなく店の中で酒を飲み続けた。この事件発生後、カウンターメンバーによる口封じと隠蔽工作が開始する。そこには、大学教授らも関与が疑われている。Mも自身がこのことを告発した場合、カウンター活動を阻害することになると考え、警察に訴え出ることを躊躇していた。仲間と活動を一旦は守ろうとしたのだ。だが、その後のメンバーによるデマ扱いなどもあり、裁判を起こした。

 この際、野間によるMの本名晒しや、関西学院大学教授・金明秀による「M(実際は実名)、おまえ、自分を守ってもらってるっていう自覚はあるのか? 自分の彼女を守ってもらってるっていう自覚はあるのか?」という恫喝めいたツイートもあった。予め身の危険を感じていたMは靴の中にICレコーダーを仕込んでおり、生々しい暴行の様子はネット上に文字起こしもされて残っている。

 この件で批判されたのが、カウンター界隈で発生したハッシュタグ「#Lは友達」運動である。これはカウンターが一致団結し、Mを孤立化させる効果をもたらす効果があったとされ、卑劣な行為と断じられるようになった。この頃になると、反差別界隈から抜け出す者も増え、在日からも批判が寄せられるようになる。さすがにリンチは一線を越え過ぎたのである。場合によってはMの命にもかかわる事態になっていたのだからそれも当然だろう。反差別界隈に批判的な者に情報提供をする元カウンター参加者も出るようになっていった。

 2015年11月〜12月の動きとして大きかったのは「闇のキャンディーズ」身バレ騒動である。これは、カウンター活動をしていた「闇のキャンディーズ」が、在特会系のデモに参加する女性に対し「豚のエサにしてやる」などと暴言を吐いていたところ、新潟日報の部長であることがバレてしまった件だ。この時の身バレを追及したのが新潟水俣病訴訟等で知られる新潟在住の弁護士・高島章である。ぱよぱよちーんのKに続く2人目の身バレ、しかもまたもや50代と見られる定職に就いた男性である。結局キャンディーズは異動させられ、2016年3月に会社を去っている。反差別運動にかかわり、過激化し過ぎてしまった結果会社を去った人物はもう一人いる。デモ等で使うポスターやフライヤー等のデザインに関わっていたbcxxxである。優秀なデザイナーとして知られていたが、彼も身バレし、職場に抗議が殺到し会社を去ることとなった。また、後に「チャンシマ」も大手証券会社の部長であることがバレ、同社に対して街宣がかけられる事態となった。その後、彼のポジションには別の人物が就任した。

 反差別の運動をすること自体は何も悪くないのだが、「正義」の御旗のもと、あまりにも彼らは罵倒をし過ぎた。いずれの人物もネット上のハンドルネームを使って罵倒をしていたのだが、いざ現実世界とそこをリンクされるとネトウヨからの抗議も殺到し業務妨害をされる以上、もはや上司からすれば「困った部下」ということになる。野間のようなフリーランスはさておき、失う立場のあるサラリーマンがのめり込んで先鋭化するのは危険である。「レイシズムを抑えるには乱暴な言葉も辞さない」という野間の考えは当初は有益だっただろう。だが、ネトウヨが弱体化し、もはや影響力も低下している中、あれほどの乱暴な言葉は必要だったのか。あまつさえ、ネトウヨでも差別主義者でもなんでもない者に対しても、猛烈に汚い言葉で罵倒をしてくる。もはや反差別界隈は一般の支持は得にくい状況になっていた。そして、あれだけ称賛を続けていたメディアもリンチ事件もあったせいか、彼らのことはスルーするようになっていった。

 キャンディーズの身バレ騒動の後、2015年末のしばき隊をめぐる動きとしては、12月27日の「ろくでなし子オフ会」がある。11月のぱよぱよちーん騒動を経てツイッターでやり取りをしたろくでなし子と野間が飲み会をすることになったのだ。公開討論実況中継も事前に決められた。これらのやり取りの中、野間は終始攻撃的で、ろくでなし子は「野間っち」と呼び、呑気な対応をしていた。そんな状況下で野間を誘ったわけだが、野間は渋々ながら了承。参加者も公で募ることとなったのだが、「ろくでなし子の弟子」を自称する高島章弁護士の参加が決定。他にも「ネット実況少年」「ドローン少年」として知られるノエルも参加。そして現在「しばき隊評論家」を名乗る愛媛の自動車販売会社社長・合田夏樹も参加した。合田は現在は田山たかしに次ぐ「しばき隊ウォッチャー」のような存在になっているが、当時は無名の存在だった。新宿の居酒屋に十数名が訪れ、野間も約1時間半遅れで登場。反差別界隈からは男組・高橋直輝ともう一人が来た。野間は到着してすぐ、ノエルの実況が不快だったのかカメラをはたき、ノートPCを閉じさせたという。

 この飲み会に参加したろくでなし子の担当弁護士である山口貴士ツイッターでこう振り返っている。「一次会お開き。野間さん、ついに議論に応ぜず。逃げたと言われないためだけに来たとしか思えません」「野間さんは、高島弁護士やろくでなし子の相手は避け、他の女性参加者相手には饒舌」。そして、野間は解散後ツイッターで「ろくでなし子の飲み会行ったけど、来てるやつ全員きもいやつだった……。」と感想を述べた。なお、山口弁護士は、森友学園籠池泰典前理事長が証人喚問に登場した際の弁護士である。

 余談になるが、2016年10月、ろくでなし子は警視庁による逮捕をきっかけに、アイルランドのロックバンド・ウォーターボーイズのボーカルであるマイク・スコットから関心を持たれ、出会った。そしてこの2人は結婚するに至ったのだ。ろくでなし子は「仲人は警視庁」と語っている。私も2人の結婚パーティに参加したが、スコットは新曲『Payo Payo Chin(ぱよぱよちーん)』を披露した。参加者に配られたCDにもこの曲は収録されている。スコットによるとこの曲は「愛する2人の朝の挨拶を歌った曲」ということで、ろくでなし子が「差別主義者!」と糾弾されたような意味合いの意図は込めていないという。(続く)

ネットニュース編集者・中川淳一郎氏による「ネットの反差別運動の歴史とその実態」レポート(全4回中最終回・文中一部敬称略)。

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 さて、2016年1月10日、突如として反差別界隈で注目を集める人物が登場した。精神科医香山リカである。銀座で行われた「慰安婦問題 日韓合意を糾弾する国民大行進」でデモ隊に中指を突き立て、差別主義者に「やめろー!」と絶叫する様が動画で公開されたのだ。『スッキリ!!』(日本テレビ系)のコメンテーターとして冷静なコメントをし、著書も多数出していた香山のこの姿には多くの人が仰天した。以後、香山は野間と共に反差別界隈の主役級の注目を集めるようになる。もはや彼女のツイートだけで2ちゃんねるにスレッドが立つ時代なのだ。かつては李信恵のツイートがスレ立ての材料となっていたが、今の時代は香山である。

 今やドップリと反差別界隈に身を投じている香山だが、多くの人はその豹変ぶりに驚いている。思った以上に過激なのだ。雑誌や新聞の連載は以前通りの筆致なのだが、ツイッターになると同一人物とは思えないほど過激になる。1月10日、香山は本気で差別主義者に対して怒っていた。その前段となったかもしれないのが、2015年12月23日に行われた反天皇制を掲げる団体に対する「行動する保守」の日侵会による原宿カウンター街宣である。天皇誕生日に合わせて行われた反天連の集会に抗議すべく、集まった人々の前に突然香山が現れたのだ。

 なお、2015年4月、香山は自身が出演するDHCテレビ虎ノ門ニュース8時入り!』の別曜日コメンテーターである保守派・青山繁晴のファンのことを「信者」呼ばわりし、翌週の番組で謝罪。その後、青山を貶めるようなツイートを連投した。だが、「ツイッターを乗っ取られた」と主張し、この連投は自分がしたものではないとし、一時ツイッターにカギをかけていた。

 この騒動で、ネトウヨの間にも香山への注目度が高まる結果となった。そして12月23日、反天皇の集会が行われた東京・原宿のビルの前には桜井誠もいた。この様子をたまたまその場に居合わせた香山が撮影し始めたのだ。

 カウンターの参加者は「香山せんせー!」「ツイッター乗っ取られたの?」「香山先生、今日はお化粧してるの?」「タカラトミーから許可もらった?」などと挑発を開始。桜井は香山に近づき、「もうちょっと笑わないと。あなたせっかく美人なんだから。広角あげてニコッと笑わなくちゃ。おばちゃん、話していこうよ」などと話しかけた。香山はこわばった表情を浮かべる。日侵会に対抗するために来たのではなく、自宅が近くということでたまたま居合わせただけだったのだが、結果的に「写真撮るの趣味なの?」「リカちゃんまたね、ばいばーい!」「リカちゃん人形に謝れー!」などと挑発を受け、横断歩道を渡って自宅方面に歩いて行った。そうしたことがあってから17日後の香山の「中指銀座デビュー」である。

 2016年は、前出の「リンチ事件」をめぐり反差別界隈が慌ただしくなっていった。リンチ事件が明らかになってから、彼らを反社会的勢力だと指摘する声が出てきたのだ。鹿砦社は同年、反差別界隈に関し2冊の本を出した(3冊目は2017年5月)。2ちゃんねるのしばき隊ヲチスレも多数の書き込みがされていた。そんな状況下、韓国は朴槿恵の支持率が低下し、もはや反日どころではなくなってきた。ネトウヨの勢いも落ち、週末のデモの回数も激減していく。彼らは、今度は「沖縄差別」に取り組むようになる。沖縄に米軍基地を押し付ける本土が沖縄を差別しているというロジックである。高江や辺野古で基地建設反対運動を行うようになったのだが、ここには辛淑玉が共同代表を務める「のりこえねっと」も関与している。沖縄を巡っては大阪府警の機動隊員による「土人」発言がクローズアップされ、「沖縄ヘイト」という言葉も生まれた。

 沖縄には男組・高橋直輝も訪れていたが、10月4日に沖縄防衛局職員に暴行してけがを負わせたとして、傷害の疑いで逮捕され、その後公務執行妨害でも起訴された。釈放されたのは半年以上先となる4月21日のことである。異例の長さであると高橋の早期保釈を求める運動も発生しており、保釈された際には支援者から花束も送られ、その後新聞のインタビューも受け、拘置所生活について語った。その約1か月前の3月17日、高橋の後に逮捕された沖縄平和運動センター・山城博治議長ともう一人の公判も行われたが、鹿砦社の『人権と暴力の深層』には野間、安田、香山らも那覇地裁に訪れていた様子が写真とともに紹介されている。

 2016年から2017年にかけては、反政権の運動が盛り上がった感がある。「反政権」の面で大きかったのが東京都知事選挙である。舛添要一の辞任に伴う都知事選では、いずれも無所属の小池百合子増田寛也鳥越俊太郎の3人が有力候補とされた。小池は自民党に反旗を翻す形の出馬で増田は自民党の推薦を受け、鳥越は民進党共産党社民党・生活の党の推薦を受けた。となれば、反差別界隈は鳥越の応援にまわる。鳥越こそが東京をより良い方向に導き、そしてひいては安倍内閣打倒につながる、といった解釈をしたのである。事実、鳥越は東京都知事選であるにもかかわらず、なぜか安倍内閣打倒を選挙戦で訴えた。

 反差別界隈の「いつもの面々」は鳥越支持を明確にし、ツイッターで積極的に鳥越のことをホメ続けた。途中、過去の女性スキャンダルが週刊文春により報じられた際も、徹底的に擁護した。その時のロジックは「合意の上でのことだ」「かつて週刊新潮が報じようとしたが、最後に取りやめた。裏付けが足りなかった」「この時期に出すとは悪質な選挙妨害である」といったものだ。選挙期間中、鳥越の評価を一気に下げたのが巣鴨での演説である。30秒ほど喋ったところで突如として約40年の知り合いだという演歌歌手の森進一にマイクを渡したのである。森は2分ほど鳥越を推薦する演説をしたのだが、なんとこれで終了。次の演説の時間が迫っていたのだという。約2分40秒で終了し、次の場所に向かっていったのだ。当然参加者からは不満の声が出たのだが、鳥越を支持していた元SEALDsのヤベシンタは「巣鴨地蔵商店街を練り歩きしていた東京都知事候補鳥越俊太郎さんと歌手の森進一さん。かっこいい。商店街は歓声が響いていた。これからの選挙戦どんどん盛り上がる予感!」とツイートした。

 これが演説の前に書いたのか後に書いたのかは分からないが、後に書いたのであれば、もはや贔屓の引き倒しどころのレベルではない。わざわざ暑い中、鳥越の話を聞きに来た人々(高齢者中心)に実に失礼なことをしたにもかかわらず、「鳥越だから」ということで絶賛しているのである。これは当時の反差別界隈に蔓延した空気であり、ツイッターで鳥越批判をすると彼らから叩かれる状況にあった。

 さらなる騒動も勃発。元々野党系の候補者には宇都宮健児の名前も取り沙汰されていた。宇都宮は2014年の都知事選で舛添要一に次ぐ2位の得票数を獲得した。結果的に野党四党は鳥越の推薦を決定。これを受けてリベラル陣営の票が分裂することを避ける意味もあり、宇都宮は立候補を取りやめることにした。選挙戦終盤、鳥越陣営は宇都宮に応援演説を依頼する。だが、女性スキャンダルの疑惑があったため、人権派弁護士としては受けられない旨を鳥越陣営に伝えた。すると、宇都宮に対しては電話やFAXで批判が殺到。反差別界隈の一人は「何が日本のバーニー・サンダースだ!」的にツイッターで激怒していた。というか、それはあなたが勝手に押し付けた理想像でしょ、ということだ。この段階で「ウツケン終わったな」という声も出るようになる。「我々が応援する素晴らしき候補者・鳥越俊太郎を応援しないお前はもはや敵だ!」というロジックだ。週刊女性の取材に対し、鳥越は後に「選挙が終わったら“あ、終わった”と普通の生活に戻っていますよ。実は本気で勝てるとは思ってなかった」と発言。これでは支援者も宇都宮氏も報われないではないか。