quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

桜田淳子3

ほぼ、自分と同年代(中三トリオの方が少し上)なので、桜田淳子の歌は、その明るさが「自分自身の人生の苦悩が無かった素晴らしい時代」をあたかも象徴してようでとても懐かしい。だからこそ、統一教会は「他の二つの団体」同様に嫌いだし、今も「どうしてあんなことに」と思っている。
「19才頃に入信した」ことはwikiにまで書いてあるが、それは1977年である。と言うことはそれ以降、1992年に芸能界から「強制排除」されるまでの15年間は、日本国中が騙されていたことになる。
今思えば多くの人が「どうしてひっかかってしまったのかねぇ」と首をかしげたくなるのだけれど、当時の統一教会は、反共団体として、自民党の後押しすら受けて大々的に活動していたため、多くの大学で多くの無垢な学生が取り込まれてしまった。
桜田淳子の入信の経緯詳細は今も全く不明であるが、多くのうそも流布してしまっている。それらのうその代表例は「松田聖子との確執が原因」というものである。松田聖子のデビューは1980年なので、全く関係ないことがわかる。
桜田淳子イズム」というサイトと、その管理人であるハルマッキーさんのブログが、分かる範囲で冷静に詳しく書いておられる。
いくつか、それらの文言とリンクを記しておく。

  1. 大林高志さんが合同結婚式後に行った、桜田淳子さんの実のお兄さんへの突撃取材では、桜田淳子さんが入信するキッカケとなったのは実のお姉さん同様、失恋が原因だったと
  2. 合同結婚式が行われたのが1992年8月。その時マスコミの質問攻勢に防御しきれず(霊感商法を)喜んでいる人もいる、と発言。これを聞いたスポンサー筋は、当然にスポンサーを降りる。これで実質的に桜田淳子さんは新規での芸能活動が出来なくなって
  3. 本格的に統一教会としての活動(霊感商法)に関与しだしたのは、1984年のこと。世田谷区駒沢の住宅に桜田淳子さんの姉夫婦と一緒に住むようにと統一教会から指示があった時からです。そして段々と統一教会にのめり込み、サンミュージックの壁の色がサタンの色だとか、神のお告げと称して仕事をキャンセルしたり、マネージャーを取り替えるなどの奇行が
  4. を守れたのは、統一教会のおかげと何度も何度も講演しています。桜田淳子自身は、この手の嘘はつけない人なので、多分真実だと私は思います。
  5. 1991年1月に設立された「オフィスサクラダ」という個人事務所を持っていました。しかしマネジメントその他は、実質的にはサンミュージックが行なっていました。そして桜田淳子さんが1億円を超える巨額の献金を統一教会にしたのは、確かこの年だったと記憶しています。
  6. 当時桜田淳子さんは、大森のおばさま宅に住みながら、芸能活動をしていました。〜中略〜17才の時に桜田淳子さんと同居している、お姉さんが暴漢に襲われます。〜中略〜桜田淳子を統一教会に引込めとの指示が出ていたにもかかわらず、中々埒が明かないお姉さんに対して〜中略〜2年後桜田淳子さんは、統一教会に入信することと
  7. のマスコミ戦略は敏腕芸能マネージャーよろしく、情報を小出しにして、裏でウソの情報を流しながら、〜中略〜の利に動くように操作していきます。桜田淳子さんの夫は東大出身者らしい。お相手のイニシャルが分かりました、と。そして統一教会に不利な報道を流すテレビ局には徹底的に圧力を〜中略〜しかしアメリカ生活の長かった神山威会長は日本のマスコミの実力を知りませんでした。〜中略〜そして悪夢の一言を桜田淳子さんから引き出してしまいます。(霊感商法を)喜んでいる人もいる。この発言によって、桜田淳子さんは、霊感商法なんてやってもいないと主張し続ける統一教会の逆鱗に触れます。そりゃあそうですよね。統一教会が認めていない霊感商法を桜田淳子さんが勝手に認めたわけですから。しかも反社会的な霊感商法を擁護したことでスポンサーは一斉に桜田淳子さんの元を去りました。
  8. アイスルジュンバンが出版されたのが2006年11月24日なので、森昌子さんにライバル心むき出しで・・・復帰願望というのが多分この雑誌の趣旨なのでしょうが、この時点では多分正しかったんでしょうね。しかし関わったとされるサンミュージックが頑としてゴーサインを出さなかったらしい。これはこれでサンミュージックは、それなりに偉いと私は思っています。
  9. 桜田淳子さんのイラストに少し悪意があるように感じるものの、内容については、その当時新進気鋭の有田芳生さんと江川紹子さんのアツい思いが感じられます。
  10. ホテルオークラで毎週水曜日に行われていた桜田淳子ミニリサイタルのことを記した週刊ポスト2005年4月22日号の記事。