quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

冷泉彰彦は統一教会シンパか

ニューズウィークで親米コラム「プリンストン発 日本/アメリカ 新時代」を書きまくっている冷泉彰彦であるが、その箇条書きのセンスの良さから読者も多いのではないだろうか。しかし、彼のスタンスには問題点が二つある。
一つは、アメリカにあるものなら、たとえゴキブリでも日本人よりエライ、と言う、その傲慢さである。しかしこの考えにはちょっと注意して捉えなければならないところがある。冷泉のコラムは「アメリカにあるもの」を無条件に信奉したり、称えたりしている
わけではない。彼の言外の主張は、

アメリカにあるもの」=米国市民から見た場合、当然、外国のモノよりも偉いだろうし、大事にされて当然

というもの。「アメリカにあるもの」の幅がとてつもなく広く、上述のようにたとえゴキブリでも日本人より偉いと言う風なので、腹立たしい。

二番目は、冷泉は統一教会のシンパである可能性だ。これは公に批判されてしかるべきである。具体的には、2012年05月11日(金)の記事、「アメリカが拉致問題などで「日本の立場」を十分に理解できない理由」において明確に書かれている。つまり、

教団側が相当にロビーングをした結果でもあるようですが、「成人した子どもの信仰の自由を阻害する親の行動が放置されており、社会として信教の自由確保に積極的ではない」

と、統一教会(名前はぼかされて、教団となっているが、明らかに統一教会を指している)のロビー活動によって、米国のエライ議員がそっち側に回ってしまったことを、消極的にではあっても半ば支持してしまっている。
「半ば」と書いたのは、パラグラフの最後に「これもまた妙な話ではあります。」などと取ってつけたような言い訳を記しているからである。
さらに、第一項の問題点と同様に、「米国の態度はこうだから、お前ら日本人は気を付けろよな」的な傲慢さがにじみ出ている。統一教会も米国支部は「アメリカにあるもの」だから日本人よりエライのだろう。
冷泉の記事内容は、彼本人が要注意人物に見えてしまうことも含めて、毎回、大変興味深い。