quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

日比谷焼打ち事件

日露戦争講和条約ポーツマス条約)で「宝」が少なかったとして起きた暴動。これがその後の5・15や2・26などの暴走に続く引き金であり、これをもっと詳しく教科書で扱うべきだと思った。2・26事件だけ聞かされても何が何だか分からない。原因もその後の影響も分けが分からないのだ。
政府は決して突っ走ったわけではなく、一つ一つ、丁寧に対処して行った結果の迷走のわけで、、、。


あの頃の日本は、日露戦勝を祝う提灯行列を見ても、この焼打ち事件を見ても、そういう雰囲気だったのだなあ。百年前である。どこかに国とは確かに百年ずれている。