ピルグリムファーザーズは失敗だった
中学の英語の教科書に出て来た米国の開拓使の話。メイフラワー号、ピルグリムファーザーズ、インディアン、サンクスギビングデイ、レキシントンの戦い、ポール・リビア。何とこれらもかなり「盛った話」だったとは。
日経BizGate、「アメリカ政治を動かす信仰パワー」2018/03/27元駿台予備校講師 関 眞興氏
プリマス植民地を建設した一団
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この集団の移住は失敗に終わります。厳しい自然状況もあって、多くの仲間が亡くなります。植民地建設の後も維持が難しくなり、マサチューセッツ植民地に吸収合併されます。
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失敗の悲劇性などを強調することで、19世紀の後半、「ピルグリム・ファーザーズ(巡礼始祖)伝説」として復活し、アメリカ人の国民意識の形成に利用されました。
最初は、ジョン・ウィンスロップが建設したボストンなど、カルヴァンの神政国家を目指していたものの、徐々に疑問視され、
ロジャー・ウィリアムズは、ロードアイランドに新しい植民地を作ります。その地はやがてアメリカ・プロテスタントの2大潮流の1つバプテスト派(いくつかの流れがあるのですが、聖書主義、各教会の自立・自治、政教分離、全身を水に浸す浸礼による洗礼などを共通にします)の中心になります。
となったり、
やはりマサチューセッツを離れたトマス・フッカーは、コネチカット植民地の基礎を作りました。ここでは植民地の運営の原点として「コネチカット基本法」が制定されます。近代の成文憲法の最初ともいわれるこの規範で、「政教分離」が謳われ、一種の共和国の建国を目指しました。
と、政教分離につながって行く。特に前者ロジャー・ウィリアムズの功績として「判事は宗教的な違反を罰することができない」と言う主張があるが、と言うことは、最初の頃は、罰していたのだな。
(メモ:江戸時代に日本で活躍したのはウィリアム・アダムズ三浦按針、そしてボストンの有名なビールはサミュエル・アダムズ)