quadratureのシニカル日記

イヤなことは壺の中に

移民排除右翼と反レイシズムとムスリム

面白い。三つとも異なる立ち位置であることにようやく気が付いた。

橘玲の世界投資見聞録(ダイアモンド、2017年8月31日)
バルセロナのテロ犯から考えるムスリムの若者がテロリストに”洗脳”される過程」

サラフィズム(ジハード主義)はポップだから若者たちを魅了する
:(中略)
「ぼくは占領されたパレスチナ。ぼくは占領されたガザ。ぼくは殺戮され、爆撃されたシリア。ぼくは飢えたアフリカ。ぼくは占領されたアフガニスタン。ぼくは征圧されたチェチェン。ぼくはエジプトの抑圧。ぼくはウランを使って爆撃されたイラク。ぼくはずたずたにされたリビア。ぼくは包囲された難民キャンプ。ぼくは拷問がおこなわれ、それから忘れられたグアンタナモ。ぼくはこの15年の間に西側列強の血まみれに手によって殺された、150万人以上の死んだムスリム。ぼくは死んだムスリムだ」
 そして少年は、「ぼくはシャルリーじゃない」と宣言するのだ。
:(中略)
 イスラーム過激主義の宣伝に共通するのは、ダブルスタンダードと偽善の告発だ。「黒人が侮辱されれば、人はそれを人種差別と呼ぶ。ユダヤ人が侮辱されれば、人はそれを反ユダヤ主義と呼ぶ。ムスリムが侮辱されれば、人はそれを意見表明の自由と呼ぶ」のだから。
:(中略)
原理主義的なイスラームは、じつは伝統的なイスラームよりはるかに「男女平等」なのだ。
 家庭内で父親に抑圧されている女性に、サラフィストはいう。「お父さんやお兄さんに従わなくていいんだ。君が従わなけらばならないのは、ただひとつ、アラーだけなんだ」
 これまで自由に外出することすらままならなかった彼女たちは、ブルカを着用することと引き換えに、いまやどこへでも(シリアまでも)行くことができるようになる。実際、「イスラム国」には女性警察官がいるし、女性だけが勤務する裁判所もあるのだ。
 もうひとつの魅力は、アッラーへの服従によって、これまでの罪がすべては赦されることだ。「ブルカの下に過去の「堕落した人生」の名残であるタトゥーやその他のしるしが隠されているのは偶然ではない」と、マンスールはいう。罪を背負った者たちは、神の名の下にこれまでの人生をリセットし、ふたたびゼロから始めることができる。